第5号 任地「ピラポ移住地」の紹介

2011/09/21

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市川 伴武 先生
パラグアイ ピラポ市
(JICA派遣)

男・日本語教師 パラグアイで『(いき)』る! 第5号
~任地「ピラポ移住地」の紹介~
 

さて、今回は私の任地ピラポ市の概要についてご紹介したいと思います。

パラグアイ国ピラポ市は首都アスンシオンからバスで8時間ほど南に下ったところにあります。パラグアイ第3の都市、南部のエンカルナシオン市からバスで1時間半ほどの距離にある日系移住地です。ピラポという名前ですが、現地インディオの言葉であるグアラニー語で「ピラ」は「魚」、「ポ」は「手」を表し、魚が手でつかめるほど多い場所という意味でつけられたのではないかとも言われています。ピラポ市の面積は84,000ヘクタールです。人口は7000人ほどで、そのうち、日系人の人口は1300人ほどです。主な産業は大豆、小麦、とうもろこし、ひまわりなどです。市長は代々日系人の方がしています。

ここは、移住してきた日本人たちが流れ流れて、自然に固まって住み着いたような場所ではなく、最初から日本国が用意した土地なのです。同じパラグアイですと、ピラポ移住地の他にラパス移住地、イグアス移住地も同じように国が用意した移住地です。これらの移住には戦争が大きく関わっています。日本の敗戦後、アジア地域からの引揚げ者・復員軍人などが大量に日本に帰ってきました。その人口対策として政策的に海外移住を進める時代に入りました。その日本の国策「海外移住政策」によって、作られた移住地なのです。

ピラポ市の移住の歴史については、パラグアイ日本人会連合会のページをご参照ください。他の移住地についての歴史も載っていますので、ご興味がおありの方はぜひご覧ください。

【パラグアイ日本人会連合会 ピラポ移住地のページ】
http://rengoukai.org.py/ja/la-sociedad-nikkei/idonde-estamos/colonia-pirapo

ここでポイントになるのは、こういった南米への移住の歴史や経緯を日本に住んでいる日本人の多くが知らないということです。かく言う私も、実はJICA横浜での派遣前訓練を受けるまでは全くといっていいほど、移住の歴史や経緯というものを知りませんでした。そして、知った後に愕然としました。なぜ、今まで知らずにいたんだろうと。大学受験を日本史でしたにも関わらず(あんまり関係ないですけど・・・)、なんたることなんだ!と自分に問わずにはいられませんでした。自分たちと同じ日本の血が流れている人たちが地球の反対側にたくさんいて、その人たちが尋常ではない努力を重ね、今なお異国で「日本」を継承し続けているということを知らなかったことに恥ずかしさを覚えました。

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やみつきの自家製ラーメン
(クリックすると拡大します)

パラグアイの隣国ブラジルは移住してから100年を越していますが、パラグアイは戦後移住が中心のため比較的新しい移住先です。1960年8月に第1陣がピラポ移住地に入植しました。去年の2010年の8月で50周年を迎えましたが、見方を変えるとまだ、移住してから、たったの50年しか経っていないんです。それゆえ、1世の方、つまり純粋な日本人の方もまだ元気でいらっしゃいます。ここピラポ市には岩手県と高知県出身の方が多く、移住してからの歴史も浅いため、まだまだ「古きよき田舎の日本」が色濃く残っているのです。

南米パラグアイにJICAボランティアとして派遣された私ですが、この町では日常生活で日本語しか使いません。これは日本語教師という職種だからではないのです。この町では日本語だけで本当に生活できてしまうのです。逆に、私が日系人の方に拙いスペイン語やグアラニー語を話すと、片言なので冗談のように聞こえてしまうようです(泣)。

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自分たちでつかなきゃ餅が食べられない!

スーパーでもレジはみなさん日系人なので、日本語OKです。スーパーには通常のものに加えて、漬物、豆腐、油揚げ、厚揚げ、納豆、うどん、味噌など自家製の品々が並びます。餅も自分たちでつきますし、自家製ラーメンを作っているところさえあります。私の食生活も日本となんら変わらない和食が中心です(笑)。むしろ日本にいたときより和食を食べているかもしれません。日系人ではない純粋パラグアイ人の方の店でさえ携帯電話料金を支払おうとすると、あちらから私の顔を見るなり、「ナンボ?(いくら?)」と言うので、面食らってしまいました。うーん、恐るべし、日系移住地・・・。

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岩手さんさ踊り

地域のつながりがしっかりしていて、縦横の人々のつながりがとても強いです。ピラポは6つの地区に分かれていて、それぞれ地区長がいます。婦人部や青年部があり、それぞれが行事などでは役割をしっかりと果たしています。みんなで食事会をするにしても、居酒屋やレストランがたくさんあるわけではありませんから、会場から食事から全て1から自分たちで作り上げるのです。そして、役割分担が長年の関係で自動的に出来ているので、準備も片付けもあっという間です!片付け始めて30分もしないうちに会場がいつの間にか初期設定に戻っているのです。なんという連携プレーなのだろうと着任当時、舌を巻いたことは今でも忘れません。

以上、まだまだ紹介し足りないのですが、簡単に任地ピラポ市についてご紹介しました。こんな日本色が濃ゆい場所で日本人や日系人の先生方と一緒に「継承語としての日本語教育(JHL)」をしています。パラグアイ社会で生きる日系の子どもたちに日本語を中心に文化や考え方などを継承する教育を実施しています。私個人にとっては、パラグアイ社会だけでなく同時に日本も勉強しているような気がして、とても不思議な気分です。地球の反対側に来て、一人の日本人としてもっと日本を知りたい、味わいたいと思わされる日々が続いています。

地域のつながりがしっかりしていて、縦横の人々のつながりがとても強いです。ピラポは6つの地区に分かれていて、それぞれ地区長がいます。婦人部や青年部があり、それぞれが行事などでは役割をしっかりと果たしています。みんなで食事会をするにしても、居酒屋やレストランがたくさんあるわけではありませんから、会場から食事から全て1から自分たちで作り上げるのです。そして、役割分担が長年の関係で自動的に出来ているので、準備も片付けもあっという間です!片付け始めて30分もしないうちに会場がいつの間にか初期設定に戻っているのです。なんという連携プレーなのだろうと着任当時、舌を巻いたことは今でも忘れません。

以上、まだまだ紹介し足りないのですが、簡単に任地ピラポ市についてご紹介しました。こんな日本色が濃ゆい場所で日本人や日系人の先生方と一緒に「継承語としての日本語教育(JHL)」をしています。パラグアイ社会で生きる日系の子どもたちに日本語を中心に文化や考え方などを継承する教育を実施しています。私個人にとっては、パラグアイ社会だけでなく同時に日本も勉強しているような気がして、とても不思議な気分です。地球の反対側に来て、一人の日本人としてもっと日本を知りたい、味わいたいと思わされる日々が続いています。

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鬼太鼓という演目。

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和太鼓グループ

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岩手鬼剣舞グループ

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みんなで踊る盆踊り

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日本の夏祭りの風景のようです

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南米にあがるきれいな花火

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行事の時には和食のご馳走が並びます。