「海外で働きたい!」 そしてたどりついたのが日本語教師でした。

2014/11/17

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倉橋 慶さん

日本語教師養成講座
1995年卒業

タイの大学勤務

「東京にもあきたし、次は上海にでも行こうかな。」
一緒に働いていたイギリス人のこのなにげない言葉が、私が日本語教師になったきっかけです。そのころ私は東京の英会話学校で専任講師として働いていました。仕事は大変でしたが、職場や同僚にも恵まれ楽しい日々でした。しかし、ある日同僚のイギリス人が言った冒頭の科白を聞いたとき、『そうか、英語ネイティブの先生は世界中どこででも働けるんだ。いいなあ。うらやましい。』と思ったのです。それで、『私も海外で働きたい!』という気持ちが急に強くなりました。しかし、私は日本で英語は教えられるけど、外国では無理だし、外国の会社に就職というのも私には向いていないだろうし、どうすれば私にできそうな仕事で外国で働けるかいろいろ調べました。その結果たどり着いたのが、『日本語教師』でした。

働きながら通える学校を探していたとき、時間や場所が一番便利だったのがアークアカデミーでした。学生時代はあまりまじめな生徒ではなかった私ですが、日本語教師の勉強は楽しくて、人生で一番一生懸命勉強したかもしれません。アークの授業で一番印象に残っているのは教育実習です。授業準備はすごく大変でしたが、いい経験になりました。そして卒業後、教育実習でお世話になった先生の勧めで、アークアカデミーで働かせていただくことになりました。外国で働きたくて選んだ道ですが、学校を卒業してすぐ外国に行って、教える自身がなかったのです。アークでは約2年ほど働いたのですが、いろいろな学生やクラスを教えることができたので、このときの経験が今も役に立っています。

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その後YMCAの派遣で台湾に行くことになりました。私は台湾中部の台中の南にある彰化縣という小さな町のYMCAに派遣されました。そこは町に日本人がYMCAで働いている2名のほかに数名しかいないところで、英語もあまり通じないし最初はかなりとまどいました。しかし、私より1年先に赴任していた同僚や、学生がほんとうに親切にケアしてくれたので、中国語の上達とともに楽しい日々がおくれるようになりました。小さい街なので、人が本当に親切で、毎日果物やいろいろな食べ物を持ってきてくれたり、休みの日にはいろいろなところに連れて行ってくれたりして、本当に楽しかったです。授業の後に、クラスのみんなでお茶を飲みにいくこともよくありました。台湾では2年教えました。

実は、私は台湾から日本に戻ったあと一度日本語教師をやめているんです。大阪にいる親友が、彼女の会社を手伝ってほしいと誘ってくれていたので、そこで2年働きました。


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しかし、そこもやめることになり、次の仕事を探していたときに、誘われたのがタイの大学でした。タイはそれまで旅行で2回行ったことがあり、好きな国だったので、応募することにし、また日本語教師になりました。最初の大学は契約が1年半で、それが終わったときに、今の大学に移りました。今の大学に来て3年目です。タイに来る前は、日本語学校で、だいたい3人~10人ぐらいのクラスしか教えたことがなかったし、大学では成績もつけなければいけないので、最初は大変でした。特に、タイは日本と違って大学での成績があとあとまで影響するらしく(就職とか就学金をもらうときとか)、学生の成績に対する執着がすごいので、びっくりしました。

日本語教師になってよかったなと思うことは、やっぱり学生がかわいいことですね。大学などではたまに、あきらかにやる気がなく授業にも来ない不真面目な学生もいますが、多くの学生は日本に興味を持ってくれているので、日本人に対して友好的ですし、したってくれるので、学生との交流はとても楽しいです。