日本語教師の日常エッセイ「チリもつもれば」No.1 | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

No.1「師」は身近に?

2015/03/16

日々、日本語を学ぶ学生たちの姿に接して、ふと思う。もし、私が日本以外の国に生まれていたら、外国語としての日本語に興味を持っただろうか。もし、興味を持ったとしても、留学してまで学ぼうと思っただろうか。「日本語には、ひらがな、カタカナ、漢字という3種類の文字があるんだよ」と聞いただけで、即、敬遠していただろう。


ところで、日本語教師をやっていて、よくされる「誤解」の一つが「英語、もしくは他の言語がペラペラなのではないか」という勝手なイメージ作りである。職業を聞かれて「日本語を教えています」と答えたとたんに、相手の口が一瞬「ほおぉ!」のカタチになり、「じゃあ、英語なんかは、そりゃもう…」という流れになることが多い。


もちろん、日本語教師の中には英語をはじめ外国語に長けている人も少なくないが、私の場合、情けないことに外国語を極めたことがない。いくつかの国で暮らしたことはあるが、根性がないのかセンスに欠けるのか、すべて「なんちゃって」で止まってしまっているのだ。


そこで、正直に「いえいえ。実は、『日本語を日本語で教える』という方法があるから、外国語ができなくても大丈夫なんですよ」と答えるのであるが、それがまたピンとこないらしく、頭の上に「???」が無数に飛んでいる。「そんな魔法みたいな方法があるのか」という表情の人さえいる。もはや相手の目には、尊敬の色さえ浮かんでいる。

 

しかし、私から見れば、教師(=私)よりも、日本語を学ぶ学生たちの方がはるかに尊敬に値する気がする。確かに、学生の中には出席してはいてもスマホをいじる者、居眠りしている者もいることはいる。が、きっかけはアニメであれ、アイドルであれ、世界でも有数の複雑な言語を学ぼうと日本に留学して来たのだ。それだけでも、すごいことではないか。そう考えながら、私も彼らを見習うべく某外国語のテキストを久しぶりに手にした。しかし、すぐに頭が飽和状態になって2、3ページで手が止まる。語学を極める道は、予想以上に長い。

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