日本語教師の日常エッセイ「チリもつもれば」No.3 | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

No.3 お国かわれば

2015/04/17

No.3 お国かわれば

どんな学生でも「テスト」と名の付くものには、特別な思いがある。そして、たとえ不真面目クンであっても、その点数は気になるものらしい。誰だってプライドはあるから、恥ずかしい点は取りたくない。でも、コツコツ勉強なんかしたくない。そこで「よーし、カンニングしちゃえ!」という発想が登場するのだろう。

 

日本語教師という仕事は、「他の国の考え方も尊重すべき」であり、「国によって考え方や習慣が違うからこそ面白い」というのが大前提だ。しかし、中には当然ながら「ちょっと! それを正当化されてもねぇ」というものもある。その一つが、カンニングである。


カンニングというと、多くの日本人にとっては今も昔も「やってはいけない不正行為」ではないだろうか。その後味の悪さ、バレてしまった時のリスクの大きさを考えると、まったく得策ではない(はずだ)。その昔、自作のカンニングペーパーを自慢げに見せているクラスメートに対して、「その手間暇、他に使いなよ」と思ったものだ。


さて、日本語学習者のカンニングである。某国で教えていた時、初めてのテストで、クラス全体が明るく仲良く助け合い(=カンニング)をやっているのを見て驚いた。当然ながら注意したのだが、実にあっけらかんと「わからない人を助けてあげないのは、かわいそうだから」とのお答え。カンニングが、弱者救済事業になっていたのだ。

 

「日本ではね」と説教するのは、たやすい。しかし、現地では「それはわかるけど、ここではね」で片付けられるのが関の山だろう。一方、日本で勉強している学習者には、日本事情を教える意味でも、あの手この手で認識させていく必要がある。「カンニングしたら0点」と警告した上で、テストの間ずっと目を光らせるのはもちろん、隣同士が見せ合わないように数種類のテストを作成したりと、教師たちの苦労は尽きない。たとえ「日本人って冷たいわ」などと言われても、カンニングは日本では不正行為。これはゼッタイに譲れないのである。

 

海外通信パラグアイ