日本語教師の日常エッセイ「チリもつもれば」No.2 | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

No.2 書は人なり

2015/04/01

気が付けば、けっこう長い間日本語を教えているが、未だに「成長」していないことがある。決して上手いとは言えない「字」である。


小学校の頃、教壇に立つ先生たちがキラキラ輝いて見えたことがある。黒板に書く字が、実に規則的で美しかったからである。とても繊細な字を書きそうには思えない、いかめしい顔つきの男の先生でさえ、チョークを手にしたとたん黒板に柔らかな文字を描いていったものだ。そのギャップが不思議で、先生への評価も五割増しくらいになったような気がする。そして、子ども心に「大人になったら、みんなキレイな字がかけるようになれるんだな」と勝手に思っていた。


現実はどうだったか。あれから数十年経った今でも、その「大人の字」になれずにいる。私には姉が二人いるが、長女はやや丸みのある女性らしい字、次女は書道で鍛えた力強くもバランスのとれた字を書く。その姉たちに、今でも「おもしろい字だね」と言われ続けている。


大学時代からの友人が達筆であることも、私のコンプレックスに拍車をかけた。彼女の履歴書に書かれた美しい文字を見た私は、改めて自分との差に愕然。雑誌の「○ペンの○子ちゃん」の広告を見つめて、何度真剣に申し込みを考えただろう。そんな私だから、日本語教師になってからも、自分の字が学生にどう映っているのか気になっていた。


そんなある日、こんなことがあった。今から6年くらい前の話になる。中国の男子学生が授業後にやって来て「ひらがなの五十音を先生の字で書いてください」と言う。要は今後の参考にするため、私が書いた「あいうえお」が欲しい、ということらしい。私である理由を聞くと「読みやすい字だから」とのこと。「読みやすい? この字が?」私は混乱しつつ、後日できるだけ丁寧に紙に五十音を書いて、渡した。


こんな依頼は、後にも先にも一回きりである。だが、たった一人でも私の字を褒めてくれた学生がいたのも事実。書は人なり―この字も自分の個性なのだと、その時いい意味での開き直りを覚えた気がする。

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