日本語教師の日常エッセイ「チリもつもれば」No.23 | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

No.23 こころの故郷

2016/02/15

年が明けてすぐに、2年ぶりに台湾・台北に行ってきた。台北は今から18年ほど前に、日本語教師としてスタートを切り、2年半暮らした街。慌ただしい日々の中で多くを学び、今でもふと訪れたくなる場所や会いたい人たちが待ってくれている、「こころの故郷」のような存在である。


赴任当日、桃園国際空港に降り立ったときのことは、鮮明に覚えている。12月初めで「今年はけっこう寒い」という情報を聞き、いちおうコートを着ていたのだが、空港で出迎えてくれたのは汗ばむほどの熱気だった。その瞬間「ああ、本当に台湾に来たんだな」と実感したものだ。


私が日本語を教えていた日語補習班は、街の中心ともいえる賑やかな一等地にあり、台北の中でも1、2の人気教室。日本への留学を目指す若者だけではなく、就職や仕事のために日本語が必要な人もいれば、ただ個人的に「日本が好き」「趣味で」という人たちも多く通っていた。


運がよかったことに、当時の台湾では日本ブームが起こっていたのだ。マスコミでは「哈日族」と呼ばれる日本が大好きな若者たちが話題になり、和食も大人気で日本式の回転寿司屋も登場した頃だ。映画やドラマも人気で、テレビ好きの私にとって、日本の番組専門チャンネルがいくつかあったのも、台湾での生活を楽しめた理由の一つだったと思う。


さて、台北に行くと訪れたくなる場所。それは、私が初めて教壇に立った教室だ。授業のない時間帯にふらりと立ち寄り、顔見知りの受付スタッフにあいさつして誰もいない教室を覗いてみる。当時にタイムスリップして甦るのは、「あいうえお」から学ぶ学習者と、中国語がほとんど話せない教師の間に流れる微妙な緊張感。全てがそこから始まったのだ。


そして、台北で会いたい人たちこそ、当時の私を支えてくれたクラスの学習者である。学習期間は約2年。みんな仕事が忙しいこともあり、日本語の勉強をやめて久しい。会話も彼らが覚えているわずかな日本語と、私が知っている簡単な中国語。それでも、会えば当時に戻り、笑いの絶えない時間が過ごせる。まさに、私のパワーの源なのである。


暮らしていたときは建設中だった「台北101」は立派なランドマークとなり、数年前に最高級の日系ホテルもできた。変わりゆく風景の中にある「変わらないもの」。もうひとつの故郷に、日々心から感謝している。

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