日本語教師の日常エッセイ「チリもつもれば」No.26 | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

No.26 大いなる相棒

2016/04/04

3ヵ月ごとの学期が終わったら、小さな「断捨離」を決行している。複数のクラスを担当していると、授業のために作成したプリント類がどんどん増え、ファイルが悲鳴をあげるのである。そして手にしたファイルの中に、つい捨て忘れた古いプリントを発見することもある。文字が薄れ古文書の趣さえ漂う、ワープロ感熱紙で印刷した教材や宿題である。


思えば、ワープロには実にお世話になった。出会いは、数十年前に遡る。私が小さな広告会社でコピーを書いていたときのこと。それまでは手書きで原稿を仕上げていたのが、ある日、会社で文明の利器が一人一台支給された。それがワープロだった。日本で今ではすっかり遺産と化したワープロは、海外では存在したことすら知らない人も多い。 


しかし、私にとって海外生活とワープロは切っても切れず、「相棒」と言っても過言ではないのである。特に、ベトナムに赴任したときのこと。世はすでにネット時代であったが、私が現地に持参したのは、パソコンではなくワープロだった。「ネット通信ができる」という機種である。 

 
当初は特に必要性は感じていなかったのだが、日本の情報が少ない現地で、ふと思い立ってネット生活を始めることにした。さっそく現地のプロバイダーに来てもらったのだが、やってきた担当者にとって、机の上に置かれた重そうなワープロは、「マウスのない奇妙な塊」にしか見えなかったようだ。目がテンになった彼を見て、私が照れ隠しに「ノー・マウス!」と言って笑うと、彼は複雑な笑みを浮かべて作業にかかった。


画面表示はすべて日本語。もちろん、彼は日本語などわからない。ときどき画面の意味に関する質問があるほかは、ほとんど沈黙の時間が過ぎていく。果たして…なんと、1時間半ほど黙々と模索し、彼はついに設定を完了した。あっぱれ、プロのプライドを見せつける大偉業である。


さて、こうして友人たちとのメールも気軽にできるようになり、「できる相棒」のおかげで私の生活は一変した。教材作成から印刷まで、さらにネット通信にメールも。一台でこんなに有能なものが他にあっただろうか。今ではさすがに使うことはないが、捨てるに捨てられず押し入れに眠っている大いなる相棒。先日、久しぶりに手にしたときのズッシリ感に、強い愛着を感じる自分がいた。まだ当分、捨てられそうにない。

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