No.70 バスでの出来事 | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

No.70 バスでの出来事

2018/01/30

師走の某日のこと。最寄り駅から家まで利用しているバスに乗ったのは、たしか午後5時前だった。5つ目のバス停で降りる私は、車内がガラガラのとき以外、始めから降車口付近に立つことにしている。その日も、早々に自分の「定位置」をキープし、外を眺めていたのである。すると、発車直前に女性が何やら大声で話しながら乗ってきた。その声は車内全体に響いているのだが、話の「相手」らしき声が聞こえない。内容と口調からして、女性と相手は知り合いではなく、バスを待つ間に言葉を交わしたのをきっかけに、女性が「問わず語り」を始めたのだろうと気づくのに時間はかからなかった。


相手の相づちも聞こえないまま、話は続く。中高年の女性は「いかに私がスゴイか」という自慢話を延々と相手に、いや乗客全員に聞かせている。最近、思うところあって某有名大学に入学。そのキャンパスライフを嬉々として語っているのだが、時おり不自然に英単語が入るのが気になる。これが学生なら教師として指摘したいところだが、それもできない。歯がゆい。


私のバス停が近づいた。降車ボタンを押すと、その女性も席を立つ気配がして、「問わず語り」は終わった。が、安堵の空気が流れた瞬間、また新たな「相手」が登場。「Where are you from?」。英語で誰かに話しかけている。しかし、返事は聞こえない。「Where are you from?」と、二度目はやや語気を強めて聞いている。そして、ついに「どこから?」と日本語になった。さすがに気になって声のする方を見ると、女性の隣で、若い外国人らしき男性が困惑した表情で立っている。彼が小さい声で答えると「え? ウクライナ?」と、再び女性の声が車内に広がった。さらに「I am so glad to meet you」と女性の英語アプローチは続く。が、返事は聞こえない…。車内は爆弾低気圧並みの寒気に包まれた。いたたまれなかったのは、私だけではないだろう。


国際交流は素晴らしいと思う。自分の英語力をアピールしたいのもわかる。だが、相手が誰であれ、一方的なコミュニケーションは成立しない。しかも観光客ではなく、日本で暮らしていると思われる外国人との会話は、まずは日本語が自然だろう。そんなことを思いつつ、心の中で外国人男性にエールを送る。と、ようやくバスが止まった。私は振り向くことなくバスを降り、女性もそれに続く。その時だ。「Have a nice day!」、女性の声が再び響いた。時すでに午後5時。その日が彼にとっていい一日であったことを祈りたい。