No.103 トイレの謎 | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

No.103 トイレの謎

2019/06/10


クラスには、それぞれ「ルール」がある。新しい学期が始まる際のオリエンテーションで、クラスごとのルールを、みんなで共有するのだ。宿題の提出など勉強に関するルールの他に、授業中の食べ物禁止、スマホの扱いに関する注意など、かなり細かく書かれている。あえて言わずとも守れるのが理想的なのだが、やはり明確に文字にしないと…ということらしい。


その中には、トイレに関する記述もある。「トイレは休憩時間に。授業中に行きたい人は、先生に許可をもらってから」というものだ。授業中に質問をし、教室を見渡すと、いつもは消極的な学生がサッと手を挙げる。一瞬は発言を期待してしまうのだが、こういう場合のほとんどは、この「トイレに行きたい学生」というパターンである。授業的には拍子抜けであるが、その学生がクラスルールをしっかり守っている以上、教師は「いいですよ」と送り出すほかない。


もちろん、多くはそれで問題はないのだが、中には「?」というケースもある。なかなか教室に戻って来ない、という学生である。気が付くと10分以上経っているという場合も稀にあるが、これも教師としては判断が難しいところだ。一概にサボっているとは言えず、本当に調子が悪いのかもしれない。中には「お腹の調子が悪いので」と自己申告してくれる学生もいるが、こちらからしつこく聞くのもはばかられ…というわけで、この件はほぼ迷宮入りとなる。


ところで、学校のトイレといえば、ロシアを思い出す。私が教えていた大学は、現在は他大学と統合して名称も変わり、キャンパスも移転してごく近代的になっているが、当時は歴史と伝統の象徴のような、実に古めかしい建物だった。そのトイレはというと、なんと個室にドアがなかった。正確には、あったり、なかったりしたと言うべきか。私が赴任した当初は、全ての個室に幼稚園のように妙に低いドアがあり、それがしばらくすると取り外され、しばらくして新しいドアが取り付けられたと思ったら、またそれがなくなる…という、実に不思議な空間だったのだ。当然、学生たちは、他の学生がいないであろう授業中に、手を挙げてはトイレに向かう。


さすがに私も、ドアなしトイレには困惑し、ロシア人の先生に相談したところ「実は、教師専用のトイレがあります」との話。内心「だったら、早く教えてよ!」と思いつつ、鍵が必要だというそのトイレに行ってみると…。優に8帖以上はありそうな空間には何もなく、その隅に1つだけ個室があるというものだった。とりあえず、トイレ問題は解決されたものの、頭上に飛んだ数多くの「?」が任期中に消えることはなかった。今でも、学生たちの「トイレ、いいですか」という言葉で、あの日々を思い出す。永遠に解けない謎に、思いを馳せながら…。