海外通信パラグアイ編第10号 | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

第10号 地域と共に学ぶ移住学習を根付かせよう

2012/08/16

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市川 伴武 先生
パラグアイ ピラポ市
(JICA派遣)

男・日本語教師 パラグアイで『(いき) 』る! 第10号
~地域と共に学ぶ移住学習を根付かせよう~
 

お久しぶりです!
みなさん、残暑厳しい日本の夏、みなさまいかがお過ごしでしょうか。実は、私は任期を6月で終え、日本へ帰ってきました。皆様と同じように、このうだるような暑さを体感しております。そして、夏から夏へ移動しているので、体はもう常夏状態に!帰国前、帰国後とバタバタしておりまして、パラグアイ通信が全く更新できなかった男・日本語教師です。もう少し皆様にお伝えしたいことがありましたので、記事を書こうと思います。お付き合いくだされば幸いです。

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移住当時の道

今回は、私がピラポ市で行った活動として、一番大きくまた、力を入れたものをご紹介します。その名も「地域と共に学ぶ移住学習」です。

移住学習の実施の背景として、大きく2点あります。

1点目は、「日本語の不必要」です。現在、ピラポ日本語学校で勉強している3世、4世の子ども達はパラグアイにいることが普通だと思っています(当然ですが)。パラグアイの公用語はスペイン語とグアラニー語です。もちろん日本語はありません。じゃあ、なぜ日本語を彼らは毎日勉強しているのでしょうか。日系移住地だから?親に言われているから?みんな周りの子も通っているから?など、いろいろ理由がありそうですが、確固たる日本語を学ぶモチベーションを子どもたちが持っているかと言ったら、答えはノーです。特に、日系人とパラグアイ人の間で生まれたダブルの子になるとなおさらです。簡単に言えば、彼らにはパラグアイで毎日生活している限り、日本語など要らないのです。

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山焼きの様子

2点目は、「歴史を知らない今の子どもたち」です。1980年代から、大規模農業に方向転換し、大豆や小麦を大量に生産することによって、1990年後半からピラポ市にいる日系人の収入はとても大きなものとなりました。それによって、電化製品や車やゲーム、毎日の食べ物などの生活水準は日本の子どもと同じかまたそれ以上になりました。たった50年前には、ジャングルの中で生活していたとは到底思えません。今の子ども達は2000年代に生まれた子がほとんど。ジャングルの中で生活していたことなど、もはや想像できないのです。

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山焼き後の様子

これは現代の日本の若い世代にも通じるところがあるかもしれません。戦争時代の話、よく祖父や祖母からされていましたが、なんとなく毛嫌いして聞かなかったりしたことなどみなさんにはなかったでしょうか。それと同じで、わざわざじっくりと子ども達にその話をしている家庭は少ないです。また、1世の方も2世の子ども達とはその時代を共有できましたが、3世の孫世代はとにかくかわいくて、そんなつらいことはわざわざ話さないという傾向もあるようです。

しかし、今のピラポの子ども達を見ていると、物にあふれているように見えます。日本のおもちゃも日本から送ってもらい、欲しいものは何でも買ってもらえる。2世の親も1世の方々の苦労の末、3世の子ども達に買ってあげられる財力をつけたのです。

しかし、果たしてこのピラポの子ども達は何も知らないまま、今を当然と思って育ってしまっていいのだろうか。以上の大きな2点を背景として、「地域と共に学ぶ移住学習」企画が持ち上がりました。次号では、中身をご紹介していきます。