日本語教師の日常エッセイ「チリもつもれば」No.6 | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

No.6 それはヒミツです!

2015/06/03

私の夢―と書いてみたが、これから私自身の夢について約800字で語ろうとしているワケではない。学生たちが日本語の勉強を始めて、使える語彙や文法が増えてくると、自分のことを話したり、書いたりできるようになり「ワタシ、上達してる」と実感する。そんな時のテーマとしてよく使うのが『私の家族』『私の夢』といったものだ。

 

こういったテーマは「無難」なものであると考えていたのだが、海外の大学で教えていた時のこと。その日も『私の夢』をテーマに、大学生の将来を大いに語ってもらおうじゃないの、と原稿用紙を手に教室に入った。導入の話を終えて、まず原稿に書いてから発表してもらおうという段取りを考えていたのだが、なかなか原稿が進まない。一人だけではなく、ほとんどの学生の手が止まっている。全員女子のクラス。メンバー的にも、特に問題のないクラスのはずなのだが。

 

気になって「何でもいいんですよ。大きなことでも、小さなことでも」と促す私に、ある学生が言った。「夢はヒミツです。この国では人に教えると、それは実現しませんから」。夢は無闇に人に語るものではない、のだそうだ。「授業で無理やり語らせたせいで、有望な若者の芽を摘んだ」と言われては困るので、やむなくテーマを『10年後の私』に変えてなんとか授業を終えたのだが、妙な疲労感が残った。

 

これを現地で長く暮らす日本人教師に話したところ、「ここでは、家族についても気軽に聞かないほうがいいかも。複雑な家庭の子も多いから」とアドバイスを受けた。また、「地震の場合は~」というような文作成でも、「待った」がかかった。「悪いことを考えると、実際にそれが起こってしまうかも知れないから」と。言葉にすることで、夢は現実にならず、悪いことは現実になる。ふだんは特に感じなかったが、思った以上に繊細な考えの国民なのだと知らされた。

 

自分が「普通」「無難」と思うことでも、他の人にとっては必ずしもそうではない。これこそ「グローバル」ということなのかもしれない。

 

ところで、あの時に「私の夢」を語らなかった学生たちも今は30代を迎えている。ヒミツにしていた夢は、花を咲かせているのだろうか。

 

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