日本語教師の日常エッセイ「チリもつもれば」No.10 | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

No.10 忘れがたきもの

2015/08/03

学生たちは、日本の方言がけっこう好きである。特に、関西弁に興味を持っている外国人は多いのではないだろうか。もちろん、日本語学校で教えるのは東京の標準語。だからこそ、関西弁の響きが新鮮なものに感じるのかも知れない。ある学生に「先生、関西弁を教えてくれる特別授業を作ってください」と言われたこともある。また、たまたま大阪や京都がトピックに出てくると、「関西弁、教えてほしいなあ」と言わんばかりに、学生たちの目がこちらに向かってくるのを感じることもある。


私がもし関西出身ならば、「特別授業」とまではいかないまでも、学生が喜びそうなコトバをいくつか教えてあげることもできる。が、残念ながら私の出身地は関西ではない。また、故郷の方言に関西弁に匹敵するようなインパクトがあれば、いくつか披露して盛り上げることもできる。だが、それもない。言ってみれば、「地味で微妙な方言」なのである。


そんな故郷の方言に、意外な場所で遭遇したことがある。台湾の台北で日本語を教えていた時、授業の合間によく利用していた日系ファストフード店である。その日、私は一人でランチをしていた。と、日本人の男性が二人来店。台北で日本人を見かけるのは珍しいことではなく、どうも出張者のようだ。その時、二人の会話を耳にして驚いた。私の故郷の方言だったのである。思わず「○○町の方ですか」と声をかけて確かめたかったが、理性がそれを止めた。だが、99.9%確信がある。その微妙なイントネーションは、出身者だけに何かをアピールしてくるのだ。ふと石川啄木の「ふるさとの訛なつかし…」が頭に浮かぶ。上野駅と台北という違いこそあれ、どこにいても方言は「懐かしい宝」なのである。


しかし、時にはその宝がちょっとした不安を招くことがある。実は、私は高校時代まで、自分のイントネーションが「ちがう」とは思っていなかった。例えば、果物の「いちご」。標準語では「い」が低く「ち」で上がるのであるが、故郷では「い」が高く「ち」で下がる。大学進学で上京し、東京出身の友人に指摘されて初めてそれを知った。田舎育ちの18歳の乙女にとっては、かなり傷つく、衝撃的な出来事だったのである。


そして今でも、学生への発音指導の時にはちょっと不安になる。これで良かったっけ?―離れて久しい故郷。その存在感が衰えることはない。

 

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