日本語教師の日常エッセイ「チリもつもれば」No.9 | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

No.9 天使の微笑み

2015/07/17

今日の授業はうまくいっているのだろうか。そして、みんな私の言うことが理解できているのだろうか。授業中、ふと頭をよぎる不安。そんな時、やさしく救いの手を差し伸べてくれるのが、(主に教室の前方の席に座っている)学生の「うなずき」である。その「うなずき」は、「大丈夫、先生の話はよくわかりますよ」というサインであり、少なくとも「ワタシ、ちゃんと授業を聞いていますよ」というメッセージとして教師に届く。それに「笑顔」がセットになっていれば、なお素晴らしい。時にその学生は教師にとっては、天使のような存在になることもあるだろう。


立場をかえて、自分が学生だった頃を振り返ってみる。高校時代のこと。倫理社会の担当が、高齢の男性教師であった。独特の話し方とユーモアのセンスで、私は面白いと思っていた。問題は、そう思っていたのが、どうやらクラスで私一人だったことである。その教師が授業中に挿んでくるジョークにいちいち反応していた結果、いつからか私の前に立って授業をするようになってしまったのだ。ちなみに、私の席は前列ではなく真ん中あたり。この展開にさすがに困惑したが、あの時の私は、おそらく教師の目に「天使もどき」くらいには映っていたのだろう。


時は移って、今から18年前。日本語教師養成講座に通い始めて、ふと高校時代を思い出した。講師の話を聞きながら、しきりにうなずいている自分に気づいたからである。年齢も経歴も異なるクラスメートが集う養成講座。そんな中で、同じような「うなずき仲間」が何人かいた。もちろん、実際に熱心に耳を傾けていたのであるが、日本語教師を目指す身として、教壇の講師へのサービス精神のようなものもあったと思う。


そこで、注意しなければいけないことがある。妙にサービス精神旺盛な学生もいれば、「笑顔」と「うなずき」が単なるクセになっている場合もある。つまり、実は全然わかっていないという学生もいることだ。それに関しては、教師としてのカンと見極めが必要となるのである。


余談だが、以前1年ほど手話を習ったことがある。ある日、先生に声をかけられた。「すごく表情が豊かだけど、舞台女優でもやっていらしたの?」―日本語教師になるずっと前の話だが、時に「演じる」ことが必要なこの仕事。先生は、この私の将来を見抜いていたのかもしれない。

 

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