No.19 年末の教科書
2015/12/17
今年もあとわずか。年をとると、月日の経つのが早く感じるというが、果たして早いのかどうかを認識する余裕もないほど、あっという間に「今年も師走だね」という展開を迎えている。ちょっと怖くなるほどだ。
留学生たちにとっても、この時期はあれこれ1年の出来事を締めくくる季節。そこから何かを感じて、来年に生かしてほしいものである。
ところで、年の瀬モードの序章として、11月の「今年の流行語大賞」の候補作発表が挙げられる。政治、経済、文化、お笑いなどなど、さまざまな分野からノミネートされるので、それを見ているだけで365日を振り返れるほどだ。中には「これ、なに?」というものや、1年近く経っていて、すっかり記憶から遠ざかってしまっているものもある。それも含めて「ああ、今年もあとわずか」と、しみじみとしてしまうのだ。
さて、その「しみじみ」を学生にも伝えたいと、中級以上のクラスでは授業で余った時間を使って、この「流行語大賞」をトピックにすることがある。もちろん全てではなく、私の趣味で「これは知っていてほしいな」と思ったものをピックアップし、意味や背景を確認するのである。
学生たちはその候補作を知っているか―残念ながら、ほとんどの学生は知らない。アニメやお笑いに関するものは、興味があれば「知ってる」と目を輝かせる学生もいるが、政治や経済に至っては明らかにピンときていない表情である。「部屋にテレビがないから」という学生も多いが、テレビはなくてもスマホがある時代。やはり、日本で暮らしている以上、もっと広い意味での「流行」に敏感になってほしいところだ。
そして、今年も11月某日、上級クラスで流行語を取り上げたときのこと。なぜか中国の学生たちがニヤニヤ笑っている。私が挙げた言葉の中には、笑いを誘うようなものはなかったはずだ。聞いてみると、彼らが目に留めたのは「下流老人」だった。現代の日本社会で深刻な問題となっている、貧困のために苦しい生活を強いられる高齢者のことである。
中国でも元々「下流」は日本と同じような意味なのだが、最近では「いやらしい」という意味でも使われているらしい。これは日本語教師として誤解をしっかり解かねばと、私は「正しい意味」と社会背景を説いた。
たかが流行語、されど流行語。いろんな意味で、奥が深いのである。