No.49 サクラサク
2017/03/27
卒業の日も迫った3月某日、午前11時ちょうど。一人の学生がスマホ片手にソワソワし始めた。本来は授業の後半が始まる時間であるが、その日は期末テストで、まだ休憩中。私は教壇から事の成り行きをそっと伺っていた。その学生が中国語で何やら他の学生に告げると、それを聞いた学生たちから一斉に「あー」という微妙な声が上がる。聞いたところ、先日受験した国立大学の合格発表で、結果は「該当者なし」。合格基準を満たす受験生がいなかったという結果だった。本人も周囲も「ま、それなら仕方ないよね」という反応だ。
と、別の大学を受けた学生もスマホで検索開始。「こっちも誰もいなかった」とつぶやいた。同じ空間でほぼ同時に、二人の不合格者が出たわりには悲愴感はない。このクラスは既に全員がいずれかの大学に合格していたのである。第一志望に合格した学生は多くないが、卒業後の受け皿が決まっているという安心感は大きい。ちょうどその日が、私にとって最後の担当授業だったこともあり、心おきなく全員に「卒業おめでとう!」とエールを送ることができた。
それにしても、人生を左右しかねない入試の合否が、手元のスマホで瞬時に判明するとは便利な時代である。と同時に、情緒のなさも感じずにはいられない。サイトでの合格発表もあり、多少の時間差で掲示板による発表もあるという大学も多いようだが、私が受験生の時代は、合格発表といえば選択の余地なくキャンパスに足を運ばなければならなかった。忘れもしない第一志望校の合格発表当日。その日は、別の大学の受験日でもあり、当然ながら朝から落ち着かなかった。試験を終えて、急いで会場に向かう。現地に着いて急に不安になったが、覚悟を決めて掲示板を見上げた。受験番号469。「あった!」―あのときの感激は、早春のキャンパスの風景とともに今も忘れられない。
もし私が現役の受験生でも、きっと発表会場に足を運ぶだろう。「わざわざ」時間をかけることで、合格の喜びを何倍にも実感できるような気がするからだ。「万一」の結果になったとしても、この目で見ることで納得できると思う。そういえば、当時は受験生のための合否確認代行業も存在した。ああ懐かしい。のどかに「人」で成り立っていた、まさに古きよき時代の記憶である。
サクラサク。今年も桜の季節がやってきた。この春、それぞれの道を歩む卒業生たちの目に、桜の花はどのように映るのだろうか。新しい世界への期待と不安が入り混じっているであろう彼らに、数十年前の自分を重ねてみた。