No.66 朝の運だめし
2017/11/27
学校における私の一日は、小さな「運だめし」から始まる。今日の担当クラスの教室は果たして何階か、という運である。飯田橋校舎は8階建てで、4階から8階が教室となっている。毎日使用する教室が変わるため、まずは3階にあるボードで確認しておくのである。4階や5階ならこっそりガッツポーズし、7階や8階の場合にはガッカリし、同僚に軽くこぼしたりする。
学校にはもちろん、エレベーターはあるのだが、下から乗ってくる学生で満員状態のため、私は迷わず外階段コースを選択。6階までなら「まあ、軽く朝の運動」などとポジティブになれるのだが、8階ともなると途中で1回立ち止まって呼吸を整え、「いざ!」と最後の力を振りしぼる。大学時代に登山サークルで培った根性など、とっくに過去のモノとなっているのだ。
しかし、それでも「必ず教室がある」というのは幸せなことだ。海外では「学校に行ったら、教室がなかった」などというのは珍しい話ではない。私自身、ロシアの大学で教えていたとき、何度もそれを経験した。その大学では、入り口の壁にクラスと教室が貼りだされている。教師はそれを確認し、管理人に教室の番号を告げ、鍵を受け取って教室を開けるというシステムになっている。
そこで、問題発生。教室のダブルブッキングもあるが、鍵の紛失で教室が使えないということも度々。誰かが持ったまま帰ってしまったのだろう。もともと古い校舎で教室数が多いわけではなく、臨機応変に「ここがダメなら、あそこで」というわけにもいかない。無事に教室があれば「ラッキー」なのである。仕方なく黒板のない講師室で授業をしたこともある。こういうことが重なると、ちょっとやそっとではバタバタしなくなる。日々、これ修行。それを思えば、現在の「運だめし」は、実にささやかなことだ。「ラッキー」か「アンラッキー」か、その境界線は自分の心の持ち様ひとつなのだから。
「アンラッキー」で思い出したことがある。ある日の朝、飯田橋駅から学校に向かって歩いていると、頭上でカラスの気配がした。その瞬間、突然頭に「ポタッ」と液体が。心の中で「ギャー!」と叫びつつ、おそるおそる触ってみると、たしかに濡れている。急いでバッグからウエットティッシュを取り出して、頭皮まで何度も拭った。色もニオイも特にない。だが、「ポタッ」という感触は生々しく残っている。姿なきカラスへの憎しみを抱きつつ学校に着いた。教室は7階。「アンラッキー」がこの程度なら、それは幸せなのだろう。