No.56 ニッポンの奇跡

2017/07/04

学生が道で落とした財布が、戻ってきたそうだ。しかも、中に入っていた現金もカードも、何ひとつ被害なく完璧な状態で、である。本人も半ばあきらめていたようで、この朗報には本人のみならず、他の学生も「えっ、戻ってきたの? さすが日本」といった反応だった。が、ここで勘違いさせてはいけないのは、日本は落とした財布が「戻ってくる国」ではなく、「戻ってくる可能性もなくはない国」だということである。安全神話を信じすぎるのは恐ろしい。


先日、テレビで外国からの観光客に「日本人のクレージーだと思うところは?」というインタビューをしていた。例によって、麺を食べるときに音を立てるところ、きれいに行列を作って待っているところなどが出たが、「店で荷物を置いて席を離れちゃうところ」と答えるときは、「まったくもって信じられない!」というふうに、半ばあきれた表情で首を何度も振っていた。


もっとも、いくら日本でも貴重品を置いたまま、席を離れることはない。席に置いたままの荷物も、なくなってもいい物というわけではないが、「こんな物、誰も持って行かないだろう」という暗黙のスイッチが働くのだ。そして、周囲の人の目もそれなりに働いている(ような気がする)。そういった安心感から、貴重品だけを手に注文カウンターに向かう日本人、といった感じか。


しかし、その貴重品という概念も、昔とはずいぶん変わってきた。昔は「財布」と「その他」というシンプルな区別で済んだものだが、今は違う。一瞬、自分が何を手にすればいいのか考えるのが面倒になり、本だけ席に置いて、バッグごと持って席を離れたりもする。ちなみに、学生たちに「貴重品といえば何?」と聞いてみたところ、お金より、在留カードより先に「スマホ!」と返ってきた。たしかに、今やスマホは生活の一部どころか「命綱」でさえある。そのわりには、学校の受付に「昨日、教室にスマホを忘れたんですけど…」と探しに来る学生もいるのが気になる。学校の外では注意する、というのは当然のことだが、ぜひ校内でも緊張感を忘れずに行動してほしいものである。


幸い私は、これまで致命的な落とし物や忘れ物をしたことはない。ただ、小学生のころ、大きな忘れ物をしたことがある。ランドセルである。帰り道、友達と話しながら歩いていて、背中が妙に軽いことに気がついた。「まさか!」とあわてて教室に戻ると、私の机の上にぽつんと見慣れたランドセルが。あのとき幼くして感じた「自己嫌悪」が、歳月を経て今に生きているのだろうか。