No. 74 哀しき「過去形」
2018/03/27
ささやかな趣味がある。雑誌への「投稿」である。「こんな出来事がありました!」といった、日々の雑感を書いて送るといった程度のものだが、とりわけ海外暮らしでは、これが格好の気分転換になっていた。ベトナムからは「豚一匹乗せて走るバイクと、バイクを乗せて走るバイクの話」、ロシアからは「水不足で一日おき、しかも深夜の1時間しか水が出ない日が続いた話」などなど…。実に小さなトピックなのだが、嬉しいことにたびたび採用され、雑誌に載るのがちょっとした楽しみになっていたのである。
そんな趣味は、細々とではあるが現在も続いていて、先日もある雑誌に投稿。 ラッキーにも採用の知らせが届き、掲載誌が送られてきた。投稿内容の状況を詳しく説明すると、こうだ。あるクラスでのこと。「日本ではタバコもお酒も20歳から」という話になり、学生たちのお国事情を聞いていた。その流れで学生の年齢の話に。多くの留学生は20代なのだが、中にはまだ10代の学生もいると言う。その学生に「何年生まれですか」と聞き、その答えを聞いて思わず「いいですねー、若くて」と、私が口にしたそのときだった。
妙に自然な日本語を話す女子学生が、満面の笑みで言った。「先生だって…」。ここまで聞いて、「あ、きたきた。また、いつもみたいに『若いですよ』なんて、慰めてくれるんだな」と、先読みした私の耳に飛び込んできたのは、予想外の言葉だった。「…若い頃があったじゃないですか!」。思い切り過去形。彼女はなおも笑顔だ。その分、ずっしりくるジャブである。
こんな出来事を簡潔にまとめたものが雑誌に掲載された、というわけだ。若い留学生たちに日本語を教えていると、たしかに「気持ちは」若いままでいられる気がする。だが、これが落とし穴でもある。自分は確実に年を重ねているという現実から、目を背けやすくなるからである。私がそうだ。
今から18年ほど前のこと。ベトナムで教えていたときに、干支の話になった。ベトナムにも干支がある。私の干支について話すと、最前列の学生が、これまた満面の笑みで言う。「私のお父さんは先生と同じ年です」。まだ、心の準備ができていなかった頃の私には、これもけっこうガツンと効いた。そして、今回のエピソード。投稿という「告白」で、笑いに変えるしかない。若者たちに日本語を教えている以上、これからもこうした話は尽きないだろう。細々と続けていた投稿。これからは徐々に増えていく予感がしている。