No. 81 嬉しき消息 | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

No. 81 嬉しき消息

2018/07/02

「便りがないのは良い便り」などと言うが、やはり久しく会っていない人から連絡をもらうのは嬉しいものだ。手紙や電話しか手段のなかった時代ならいざ知らず、今は連絡手段も多様化し、誰でも気軽にコンタクトがとれる。しかし、だからこそ「いつでも連絡できるから、今じゃなくても」などと思ってしまい、なかなかアクションが起こせないこともある。私がそうだ。


と、先日、ちょうど「どうしてるかな」と気になっていた、ウラジオストクの元学生からメールが届いた。文面には、ようやく博士論文を終え、今年の春から日本の某国立大学の講師に就任した旨が、丁寧かつ完璧な日本語で書かれている。彼女と最後に会ったのは、たしかもう10年近く前になる。国費留学で東京近郊の大学に来ていた彼女と、新宿駅の近くで一緒にお茶を飲んだ。「これから日本で頑張りたいと思います」、そう語っていた姿を思い出す。その夢を叶えたのだ。もちろん、私はすぐにお祝いのメールを送った。


彼女に日本語を教えていた頃の思い出がある。毎年5月、ウラジオストクでは日本語スピーチ大会が盛大に行われている。2年生のときだったか、その大会に彼女が立候補したのだ。実は、クラスでの彼女は、おとなしく控えめな性格で、大勢の前でスピーチすることなど想像できないタイプ。だが、「スピーチ大会に出て、おとなしい自分を変えてみたいんです」と、まっすぐな目で話す言葉を聞いて、私も応援したいと思った。その言葉通り、練習を重ねるたびに、小さな声が大きくなり、ぎこちない表情は素敵な笑顔になり、大会での結果は、堂々の優勝。彼女は、静かな印象の奥に強く熱い信念を持っていたのだ。そんな記憶が、1通のメールから次々と甦ってきた。


「嬉しき消息」といっても、人に限らない。自分が暮らしていた国や街の名前が、日本のテレビや雑誌で取り上げられるのも、嬉しいものである。特にロシアの場合は、台湾やベトナムに比べて日本に入ってくる情報も少なく、ふと耳にしたときの懐かしさは格別だ。ソチ五輪、サッカーW杯と、スポーツの大きな大会の開催地となったこともあるが、「ロシア」がぐっと身近になり、「マトリョーシカ」の認知度や人気もすっかり定着した感がある。そして、「ウラジオストク」もここ数年、政治の舞台として日本のニュースに登場する機会が増えた。いま日本で頑張っているウラジオストクの元学生たちも、故郷を懐かしく感じているだろう。そんな思いで、私も繋がっていたい。