No. 82 なんちゃって効果
2018/07/16
もう死語に近いかもしれないが、あえて使わせてもらおう、「なんちゃって」。最近も、ケーブルTVの工事担当者とおしゃべりをしているとき、職業が日本語教師という話になり、案の定「じゃ、何か国語話せるんですか」と聞かれた。私はいつものように「日本語は日本語で教えるので、外国語が堪能なわけではないんですよ」と答えたが、なおも「で、英語の他にはいくつ?」と食い下がられ、「なんちゃって中国語くらいですかね」で何とか終わった。
先日、テレビのバラエティ番組で、面白い企画があった。中国のスーパーの従業員(日本語はまったくわからない)に、適当な漢字で商品名を伝え、何を指しているのか推測してもらい、広い売り場からその商品を探してもってきてもらうというゲームだ。例えば、「歯ブラシ」なら「歯磨毛」というような漢字で表現する。果たして、その店員はすぐに「歯ブラシ」を思い浮かべることができたのか―答えは、否である。彼は「中国には『歯』という漢字がないから…」と、いきなり困惑した表情を浮かべていた。
中国語で歯は「牙」。私も以前、これを知ったときはギョッとした。立派な牙をもつ動物と人間のギャップ…。このような違いはあっても、やはり漢字の存在は偉大だ。たとえ「なんちゃって」でも、コミュニケーションが成り立つことも多い。「長い間学校で英語を習っているのに会話力が弱い」とは、日本人にたびたび向けられるコメントである。言語を問わず、外国語を使うとき日本人に足りないのは、この「なんちゃって精神」なのかもしれない。
ところで、何年か前に台北に遊びに行ったときのこと。元生徒の一人から『新足部健康法』なる本をもらった。写真と足裏図と細かな解説により、足ツボ効果を示した本だ。表紙には「無痛、準確、更有效!」という中国語のコピーが躍る。さらにメールで使用のポイントなどを説明してくれた彼に、お礼のメールを送ることにした。ちなみに、彼からの文面はオール中国語である。ならば、私も中国語のほうが感謝の思いが伝わるかと、なんちゃって精神を発揮して漢字を駆使し、「中国語風」のメールを書きあげて送った。
自慢ではないが、会話はともかく、中国語の文を書くことなどめったにない。そして翌日、彼から届いた返信の最後に、こんな内容の中国語が添えられていた。「先生は日本語でいいですよ。簡単な日本語なら読めますから」。なんちゃって精神も空振りすることがある。ただ、気持ちは伝わったはずだ。