No.104 「知識」と「実践」
2019/06/24
ふと思い立って、春に通信教育を始めてみた。と言っても、わずか3か月ほどで学べる、認知症に関するものである。特に大きな目的があったわけではなく、久しぶりに何かを勉強してみようと思ったこと、抱えていた仕事が少し落ち着いたこと、そして、手頃に学べる講座を見つけたタイミングが一致したのだ。それから、あと一つ。毎年夏に関わっている外国人介護士・看護師プログラムの日本語研修で、介護に関連して認知症事例がたびたび登場する。今年もその研修が始まる前に、少しでも自分の知識を増やしておけたらいいなという気持ちがあった。
日本で2025年に470万人に達するとも言われる認知症については、マスコミで度々取り上げられているので、ある程度の情報は入ってくる。それでも、やはり改めてデータや実例などで学んでおくことには意味があるだろう。そんなわけで、休日などに時間を少し見つけては、改めて痛感する記憶力の衰えと闘いながら、送られてきたテキストと向き合っている。
ところで、先日、こんなことがあった。ある日の夕方、仕事を終えて、自宅最寄りのバス停を降りたときのことだ。「すみません」、遠慮がちな声に呼び止められた。見ると、80歳ぐらいと思われる女性がいる。「ここは、〇〇ですか」と地名を尋ねられたのだが、それは目の前にある大きな通りの反対側の地名だった。それを伝えると、「ああ、そうですかぁ」と言ったまま途方に暮れているようだ。その足元には、重そうな買い物袋が2つ置かれていた。「△△スーパーで買い物して家に帰ろうとしたんですけど、道がわからなくなってしまって」と、ますます不安げな表情に変わっていく。そのスーパーは、少なくとも駅から私の家までの間にはなく、見たことがない。おそらく更に先に行ったところにあると思われた。が、辺りはだんだん暗くなる…。
結局、私は「いっしょに探しましょう」と、スーパーの袋を持ち、勘を頼りにそのスーパーを探して歩くことにした。女性の話によれば、家は買い物したスーパーのすぐ近くだという。そして、呪文のように自宅の番地を唱え始めた。高齢の女性を無駄に歩かせてはいけないので、途中で通りかかった親子にスーパーのことを聞きながら、ようやく目的地に辿り着いた。やはり、女性の家とはまったく逆の方向に、しかもかなりの距離を歩いて来てしまっていたようだ。
一緒に歩いているときに、しきりに「どうしたんだろ、私?」と繰り返していた女性だが、スーパーが見えたときには、安心したのか、一変して明るい表情になり、礼を言って去っていった。私にとっては、まるでテキストの延長上にあるかのような出来事。これが、この夏の日本語研修に役立つかどうかは不明だが、学びの一つの実践例として忘れられない経験になった。