No.129 「速報」がいっぱい | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

No.129 「速報」がいっぱい

2020/08/05

それは7月末、午前クラスが9時15分に始まって20分ほど経った頃だった。教室にいた20人のスマホが一斉にウィンウィンと警報音を上げ、「地震です、地震です」と緊急地震速報のあの音声が響き渡った。地震…いつ聞いても、何度聞いても、恐ろしいコトバである。しかも、教室で20人のスマホから一斉に聞こえてくるという状況は、ちょっとしたホラーだ。当然ながら、緊張感が走る。ザワザワとする学生たちを前に、私は教卓に手を置き「みなさん、落ち着いてくださいね」と伝えた。その顔は、明らかに引きつっていたのではないだろうか。


頭の中では、避難誘導のマニュアルを思い出そうとした。教室は7階で相当な揺れが予想された…のだが、結局、揺れは来なかった。予想に反して小さかったわけではなく、まったく揺れなかった。その後、気象庁が会見を開いて謝罪したとニュースで知った。結果的には「外れてよかった」のだが、「地震です」の連呼、特に授業中のそれは、間違いなく心臓に悪い。


ここで、意外だったのは学生たちの様子である。なにせ「地震です」の大合唱である。もっとパニックになるかと思った。確かに、警報を聞いたときには、一瞬ザワついていたのだが、その後はすぐに平静さを取り戻していたように見えた。女子も一切「きゃー」「えーっ」といった声を出すことなく、笑顔さえ見せている学生もいた。結果、「落ち着いてください」と言った私が、一番肩に力が入っていたように感じた。この一件で、かなりエネルギーを消耗したことを隠しながら、その後の授業を続けたが、改めて「万が一」の対応について考えさせられた。


それにしても、「速報」についてふと思う。「緊急地震速報」はさておき、何だか最近「ニュース速報」の登場が多すぎないだろうか。テレビを見ていて、「ニュース速報」と出るだけで身構える自分がいる。どんなに大変なことが起きたのか、と。もちろん、報道する側は「早く国民に知らせなければ」という義務感があるのだろうが、中には「それを速報で出されても?」と困惑させられるものも少なくない。情報番組でアナウンサーが神妙な顔で「ここで速報です」と切り出す場合もしかり。続く内容が速報というより、単なる情報だったりする。現在のように日々不安な状況が続く中、「速報」で更に追い立てられているように感じてしまうのだが…。


ところで、現在、授業は換気のため、基本的に窓を開けたまま行っている。したがって、外の空気がダイレクトに入ってくる。その緊急地震速報の後、外から聞こえてきたのはなんと蝉の声。「ミーンミンミン」と響くその鳴き声は、まさに合唱、夏の風物詩だ。例年なら、ちょっとうるさいな、と感じることもあるその声が、今年は妙にやさしく心に沁みる。



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