No.153 トウキョウの雪 | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

No.153 トウキョウの雪

2022/01/18

今年の「仕事始め」は、大雪に見舞われた。担当者会議が開かれた1月6日。天気予報では都心で雪が降ると言っていたが、ちらつく程度だろうと読んでいた。が、甘かった。会議が始まる時間になると、その雪は大きく、静かに、意志を持ったように降り出した。まさに「しんしんと」という表現がぴったりである。近くの建物の屋上や屋根に雪が積もりだす。東京では4年ぶりの大雪らしい。


この年末年始は、2年ぶりに故郷で迎えた。新型コロナウイルス感染者が再び増え始め、果たして今年は…という空気も流れかけていたのだが、日程をいつもより短くして帰ることにした。ほぼ予約で満席だという新幹線内がやや心配だったが、「帰省先の家族や友人に迷惑にならないように」という思いは皆同じだったようで、車内で騒ぐ人もなくマナーはしっかり守られ、快適な旅だった。


現地の天気は連日雪マークではあったが、山沿いではなく海に近いエリアのため、積雪よりもむしろ風が強く、夜中に目を覚ますほどである。それでも、「久しぶりに帰ってきたな」という喜びのほうが勝っていた。そして、子どもの頃、身長を超える大雪の中で遊んだ日々を思い出した。


ところで、東京が大雪に見舞われた翌日、ネットの見出しで「雪国マウント」なるワードが目に留まった。「マウントをとる」は、最近よく聞く「自分が相手より上だとアピールすること」であり、「雪国マウント」は、「雪国から見れば、東京での積雪10センチなどは大雪には入らない。それくらいで大雪だと騒いでいるなんて…」という意識を持つことらしい。私は違うぞ、と言いたいところだが、考えてみれば思い当たるふしがある。たしかに「これで大雪とは!」と言ったことがある。


ただ、個人的には「マウント」などという気持ちはなく、あえて言うなら「プライド」だろうか。特に雪で凍結した道を歩くときは、「雪国生まれのプライドにかけて転べない」という思いがちらつく。しかも、ちょっと転んだだけで骨折するリスクは、年々かなり高くなっている。というわけで、慎重さがどんどんエスカレートし、私の歩幅は徐々に狭くなる。おそらく凍結した道を歩く私の姿は、雪国生まれの片鱗もない、ペンギン歩き風の滑稽なものになっていただろう。あえてポジティブに考えるなら、歩幅が狭くなることで、スマホの万歩計の歩数がけっこう稼げたのはよかったが。


ところで、大雪翌日の朝、ごくごく慎重に歩を進める私だったが、その横をスタスタとかなりのスピードで歩く若い女性がいた。あまりに自信に満ちたその歩き方で、あっという間に私を追い越し、そして遠くに消えていった。もしや、彼女も雪国出身なのか。それとも、単に若さゆえなのか…。そんなことを考えていたとき、ある光景を思い出した。アイスリンクのごとく凍った急な坂道を、ピンヒールで颯爽と下っていくロシアの若い女性たちである。異国での敗北感が、ふとよみがえった。