何が起こるか分からない (濵口 千岬)
2011/04/01
今回が私にとっては、2度目とも3度目ともなる挑戦でした。
2009年に初めての挑戦をしました。当時は、420時間総合コースに加えて検定演習科も受講していました。その安心感から、実は授業以外にはあまり自分では勉強をしていませんでした。総合コースも検定演習科も真面目に受けているから、受かるはずと思って過信していました。実際にはそんなに簡単に受かる程、甘くはないことを後で思い知りました。そして、2度目の挑戦をするかどうかと悩んでいた2010年は、悩んでいる間に検定の締切日が過ぎているという、なんとも間の抜けた結果となってしまいました。
そして今回の2011年、前年の失敗を繰り返さないように、今年こそと決心をしたのは検定の半年前の4月でした。2010年の6月で総合コースを修了していた私にとって約1年振りの勉強の再開でした。最初はとにかく問題集を解くことから始めました。1回目の挑戦の時、自分の苦手な分野だけ自分で勉強しておけばと、買った問題集も半分くらい手をつけないままだったので、その二の舞にならないように、まずは初めのページから勉強を始めました。一年のブランクは大きく、問題を読んでも思い出せず、半分正解できれば良い方でした。勉強を始めたばかりの4月からは、検定の時まで集中力を切らさないように、詰め込むようなやり方はせず、会社帰りに週に3日程、カフェで1時間半程度問題集を解くようにしていました。
日本語教育能力検定試験に関して、私が知りうる限り唯一のジンクスがあります。それは、検定の申し込みは、申し込みが始まったすぐに申し込むと合格率が高いというものです。私はそのジンクスを信じ、申し込み開始日当日に申し込みをしました。結局のところ、自分が検定に懸ける本気度を測るようなものなのだと思うのですが。
そして2度目の検定演習科を受けることにしました。2度目からは検定演習科の受講料は安くなりますし!
ここでもまた、前回の失敗を繰り返さないように、検定演習科を受けているから大丈夫だと過信せず、問題集を解くことに加えて、授業でもらった問題集を再度解くようにしました。授業で間違えた個所は重点的に復習をし、用語集で再確認するようにしました。
過去問を2冊解き終わったころ、模試がありました。
模試の結果は、想像以上に悪く、上位半分にも入れていませんでした。実際に結果を見たときは、ちょっと落ち込みました。4月から勉強を続けてきた結果がこれか。と思いもしましたが、結果が来る直前に終了した演習科の奥澤先生が、大切なのはこれから1ヶ月間だと、例え結果が悪くても落ち込まず残りの1ヶ月間を充実させて頑張ることが大切だと仰っていたことを信じ残りの1ヶ月間を過ごしました。
残りの1ヶ月間は毎日少しでも勉強をするようにしました。過去問を6年間分解き、苦手な聴解問題を重点的に復習しました。そして、最後の2週間は自分にとって一番身につくと考える方法で追い込みをかけました。私にとっては音読こそが一番身につくと学生のころから信じている方法だったのでそれを信じ、検定演習科で使用した問題を10回から、特に間違いの多かった問題は30回音読しました。
そして何より、勉強をしなければいけないと義務感で勉強するのではなく、勉強を自分なりに楽しみながら、少しでも解ける問題が増えたことに喜びながら、試験までの日々を過ごすようにしました。いやいややった勉強がどれほど身につかないかということを、学生時代、いやというほど味わってきたので。
検定当日は、最後の記述が終わり、終了の合図がかかるまで、絶対に諦めないことこそが何より大切だと思います。試験Ⅲの途中で分からない個所が多くても、記述に自信がなくてもとにかく最後まで自分の力を出し尽くすことができれば、きっと合格できるはずです。
そんな大層なことを言っている私も、検定が終わってから、合格通知が届くまでの約2ヶ月間、確実に不合格だと落ち込んでいました。3度目の挑戦もダメだったのかと、また来年挑戦するのかと、がっくり肩を落とし、合格するとは全く思っていませんでした。
何が起こるか本当に分からないものです。
濵口 千岬さん