No.12 我がスピーチ道
2015/09/02
日本語のみならず外国語を学ぶ場合、その目標達成までの道のりは長い。時に挫折し、孤独を感じながらも前に進むランナーのようなものだ。そんなランナーが「今、どの辺りを走ってるのか」と考え、「ワタシの実力を客観的に評価してほしい」と思うのは、当然の流れと言えるだろう。
そこで、日本語学習者のための「道しるべ」として、日本のみならず世界中で行われているのが『日本語弁論大会』である。テーマは大会にもよるが、多くは「日本とわたし」といった視点で自分の考えや経験を4、5分にまとめ、その内容や表現力などを観客の前で披露するものだ。
私自身はスピーチとは無縁の人生で、大勢の前で堂々と話す勇気もなければ、正直言って興味もほとんどなかった。このまま関わらずに生きていくのかと思われたある日、突然スピーチが身近なものとなる。赴任したロシアの大学で「今日から学生の指導をせよ」と言い渡されたのだ。
そして、意外にも「スピーチ道」の奥深さと、面白さを知ることとなったのである。と言うのも、スタートからじっくり関わることで、その学生の「変化」と「成長」をはっきりと実感することができるからだ。
私も初めのうちは不安のほうが大きかった。だが、テーマが決まり、原稿が上がり、毎日いっしょに練習を重ねていくことで、不安は徐々に消えていった。学生の笑顔が自然になり、声もイキイキとしてくる。学生の自信は、教師の自信になる。そうなると、お互いの自信が相乗効果を生んで、「いける!」という空気を生むから不思議なものである。
さて、「いける!」という思いを手にした学生―彼女は市内予選、極東大会を勝ち抜き、モスクワで開かれた『全CIS学生日本語弁論大会』で、なんと優勝という最高の結果を手にできた。これにはビックリで、「きゃー」などと言ったことのない私が、大声を上げてしまったほどだ。
その学生と私が載った当時のウラジオストク新聞の記事が、今も手元にある。インタビューの後、記者が言った。「じゃ、二人の写真を撮りましょう」。そして、「さあ、顔を近づけて。もっともっと!」と明るくのたまう。私はその時、嫌な予感がして「遠近法」でさり気なく抵抗を試みた。が、後日掲載された、明らかに顔の大きさの異なる二人の写真を見たとき、主役を引き立てるべき指導者の立場を改めて思い知らされた。