日本語教師の日常エッセイ「チリもつもれば」No.15 | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

No.15 教室の達人たち

2015/10/16

朝の授業開始前は、教室がどんよりした空気に包まれている。クラスによっては、ギリギリにならないと学生も登校せず、シーンと静まりかえっている。それが月曜日なら、さらに空気が重い。『雨の日と月曜日は』という名曲があるが、万国共通で1週間の始まりは憂鬱なものだ。


しかし、その日は違った。月曜日だというのに教室が妙に明るい。見れば、ある男子学生が大きなパンの塊を手にし、それをちぎっては他の学生に配り歩いている。そして、もらった学生たちはそれを頬張ると「おいしい!」と感嘆の声を上げ、朝からニコニコしているではないか。月曜日の朝だというのに。聞けば、彼はパティシエを目指しており、パン作りも好きで、その日の朝にわざわざ焼いてきたのだと言う。


「先生もどうぞ」という言葉に甘えてもらった分を、授業後に食べてみた。冷めても香ばしく、本当においしい。お店で売ってもいいレベルだ。いつもは後ろの席で眠そうにしているその学生が、別人のように生き生きと見え、人を笑顔にする「おいしいもの」の力を改めて感じた。


当然ながら、学生たちの留学目的はさまざまだ。留学先に日本を選んでくれたのは嬉しいが、「目的は特にないけど、とりあえずニッポン」という学生も少なくない。しかし、可能かどうかに関わらず、「やりたいこと」を持っている学生、「できること」がある学生はどこか自信に満ちていて、それだけで輝いて見えるものだ。そして、夢に向かって歩んでいく姿は実にたくましく、心から「がんばれ」と声援を送りたくなる。


ところで以前、職人技とも異なり、夢とも(おそらく)関係ないのだろうが、ユニークな「特技」を持った学生がいた。中国から来たその男子学生は、素晴らしい記憶力を持っていた。そして、その記憶力と情熱を注いだことの一つが、なんと「昭和歌謡」であった。断っておくが「年配の留学生」ではない。20歳そこそこの、れっきとした若者である。

 

ある日の休み時間、彼は急に数十年前のヒット曲を口ずさみ始めた。異国の若者の昭和歌謡に不思議な親しみを感じて、しばし聞き入る。実は、私もその曲が大好きで昔よく歌っていたのだ。国も年齢も違う一人の留学生が教えてくれるノスタルジア。他に何十曲も歌えるという彼。果たしてこの特技をその後どう生かしたのか、妙に気になって仕方ない。

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