No.18 真実の目
2015/12/01
日本語を教えていると、驚くほどの「日本愛」を持った人に遭遇することがある。以前教えていたある国で、学生が「私は日本人を尊敬しています」と言う。そこまでは良かったのだが、続けて「日本人の言うことに間違いはありません。すべて正しいです」と断言されたときは、「いやいや、ちょっと待って」と、思わず制してしまった。これが、もし皮肉で言っているのなら、まだちょっと救われる気さえした。が、学生の目はあくまで真剣で、心の底からそう思っているようだったのだ。
当然だが「日本人の言うことがすべて正しい」など、あり得ないことだ。私は諭すように、その考えがいかに極端で事実と異なるかを説いた。が、その学生の心は「さすが、先生。日本人は謙虚で素晴らしい」と、ますますプラスに動いてしまったように見え、私は不安になった。
ただ、そんな学生も実際に日本に住んでみれば、おそらくその思いに変化が起こるだろう。みんな「来日前に抱いていたイメージ」と「実際に住んで見えてきたこと」を自分なりに消化しながら、それぞれの「日本愛」に到達するのだ。できれば、その中にはプラス要素だけではなく、マイナス要素もあってほしい。それが、「健全な愛」だと思うからである。
ところで、外国人だけではなく、時には日本人から「日本の印象」が聞けることもある。海外で教えていたときに仲良くなり、今も現地で頑張っている日本語教師たちの一時帰国は、私にとって楽しみの一つだ。もちろん、普段からメールで近況報告はしているが、会えばまた懐かしい当時まで遡り、現地の最新情報まで、あれこれ話は尽きないのである。
先日、台湾から一時帰国した友人に会ったときのこと。彼女がしみじみと言った。「日本はサービスが悪くなりましたね」。聞けば、コンビニのレジ前で、並ぶ場所を間違えて立っていた彼女を、店員が見て見ぬふり。「こちらに並んでください」の一言もなく、無駄に待たされたという。そう言えば、約10年前。私自身が完全帰国した際、電車やホームで人にぶつかっても、何も言わない日本人が増えていることに少々驚いた。
外国人は「日本人はマナーがいい」「日本のサービスは素晴らしい」と称賛し、日本人はそれを誇りにしている。しかし、外から日本を見る「もう一つの目」がある。そこに映る姿も、紛れもない日本の真実なのだ。