No.62 画伯誕生 | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

No.62 画伯誕生

2017/10/04

ある日の授業でのこと。ホワイトボードの前でペンを走らせる私の背後で、学生たちがザワザワし始めた。「何、何?」という声を聞きながら完成した私の絵。「口を開けたワニ」の完成である。初級クラスの授業で日本のペット事情を取り上げたとき、以前ニュースで見た「飼い主が公園に捨てたワニを、散歩中の人が発見して驚き、警察に通報」という話をしたのだが。初級ゆえ学生の頭上に「ワニ?」という疑問符が飛んだのである。ならば、とササッとボードに描いたワニを見て、学生は爆笑。私が「画伯」となった瞬間だった。


子どもの頃から絵を描くのは嫌いではなかった。小学校3年のとき、クラスの女の子の顔を描いて、あまりに似ていて驚かれ、しばらく体育館に貼りだされていたことがある。上手いか下手かはともかく、絵を描くことにかけては多少自信があった私が、ワニ一匹で爆笑されるとは不本意だ。結果的には、学生にもワニが何モノであるかは十分に伝わり、しかも教室の空気も和んでよかったのだが、もし絵心のある教師なら一気に尊敬の対象になっただろう。


考えてみれば、日本語教師が必要とされているのは、いわゆる「絵画力」ではなく「イラスト力」だ。頭に描いたイメージを、とっさに形にできなければ意味がない。もちろん、日本語教師向け書籍にイラスト指南本があり、私もそれを見ては動物や植物、果物のイラストを眺めていたこともある。だが、ただ頭でイメージしてみるだけで納得し、実際に描いてみるという練習を積んでこなかったのだ。実際に、久しぶりにその本を開き模範的な「ワニ」と比べてみたところ、私が描いたものは口が半分以上を占める「お化けワニ」であった。


その後、何度も授業で絵を描いてきたが、生来の大ざっぱな性格ゆえ「なんとなく伝わればいい」というスタンスを貫いている。学生たちは何かわからないことがあると、まるで条件反射のようにスマホをいじり出す。確かに、スマホで検索すればすぐに答えは出るのだろうが、その前に教師が描く稚拙な絵を見て、自分なりの想像力を働かせてみるのもいいのではないかと思うのだ。


最近も、あるクラスでロシアの学生から「マトリョーシカ」という言葉が出た。知らない学生が何人もいたため、ササッと適当に大きさを変えて5つほど人形らしき輪郭を描いてみた。最初と最後以外は、見事にいびつな形になってしまい、「えーっ、何それ」と学生からツッコミが入ったが、何であるかは無事に伝わった。私は今後も、自信をもって画伯の道を歩んでいきたい。