No.141 春を愛でる
2021/04/06
春といえば、やはり桜である。「サクラを見たい」と、そのタイミングを狙って海外から多くの観光客が訪れ、お花見の名所だけでなく、街中に人と笑顔があふれる。それを見て「ああ、日本の春はいいなあ」と誇らしく思う。日本人にとって春は特別な季節。それを教えてくれるのが桜なのだ。
ふと、去年の3月を思い出す。もちろん、新型コロナウイルスに関して既にニュースでさかんに報じられていたものの、私も含めて、多くの人たちは、まだ「余裕」があったのではないだろうか。どこか他人事で、まあ少し我慢すれば、またいつもの日常が戻ってくる…そんな気持ちではなかったか。実際、私も友人とランチの後、桜の名所として知られる公園を散策したりした。そこでは予想以上に多くの人たちが密な状態で花見を楽しんでいて、「宴会はしないで」「大勢で集まらないで」という首長たちの声にも関わらず、シートを敷いて「いつもの」お花見を楽しむ人の姿もあった。「今年我慢すれば、来年はお花見ができるはず」と思っていた人もいただろう。事実、私はそうだった。
だが、1年経っても、思っていたような春はやってこなかった。留学生の中にも「日本のサクラ」を楽しみにしていた学生がほとんどではないだろうか。以前なら、勉強でちょっと疲れた表情の学生がいても、「みなさん、もうすぐ桜の季節ですよ」と言えば、「先生、東京で桜がきれいなのはどこですか」などという質問が返ってきたものだ。それができないだけで、とても寂しいものがある。
さて、3月4日には卒業式が行われ、多くの学生たちが巣立っていった。予定されていた区民ホールでの式典は叶わなかったものの、学校でクラスごとに数回に分けて行われた。当日、私は通常の授業のために登校したのだが、校舎のエントランスには立派なバルーンアートのアーチと、「卒業おめでとう」のメッセージ。心を込めて学生たちを送り出そうとするスタッフの思いを感じて、私まで胸が熱くなる。大変な一年を思い、卒業生一人ひとりに心から「おめでとう」を言いたかった。
実は、もう一つの卒業式があった。3月19日。私も1年半にわたって担当してきたクラスで、いわゆる留学クラスとはカリキュラムが異なるため、卒業が2週間遅れになったのだ。私の最後の授業はその前日の18日。このクラスには1年半の時間を共に過ごしたという、特別な思いがある。ささやかながら、何かできないか…と考え、小さな花束を贈ることにした。最近お気に入りの花屋さんに相談して作ってもらった、ガーベラとチューリップと葉物の花束。授業のあと、「この花を見て、私を思い出してね」などと言いながら、一人ひとりに手渡していく。「その色じゃなくて黄色がいい」などと軽口をたたく学生もいて、それもまた「1年半」という歳月なのだろうと笑ってしまう。全員が日本で進学する。いつか桜の季節にみんなで会えたらいいな、今そんなことを思っている。