【卒業生インタビュー/海外勤務】カメルーンの日本語学校から(3)~半年を生き延びて~
2025/12/12
玉井 真理子さん
日本語教師養成講座 2023年1月卒業
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カメルーンの⾸都ヤウンデの⽇本語学校で⽇本語教師として仕事をし始めて半年たちました。半年⽣き延びたぞ〜っ!と叫びたい気分です。
⾸都とは⾔え、断⽔、停電、インターネット不調と三拍⼦そろった国です。何を隠そう私は、ヤウンデ到着初⽇の夜に断⽔と停電というダブルパンチをくらいました。⼤鍋でお湯をわかし、バケツにくんだ⾬⽔でうめてシャワー代わりにしたのです。暗闇でバケツからくんで浴びるお湯はなかなか…などという⾵情や⾵流とは程遠く、今思うとカメルーンの荒っぽい歓迎だったのでしょう。
半年の間に、マラリアにもかかりました。折りも折り、夏休みを利⽤しての⻄アフリカ三か国周遊旅⾏(セネガル‧ベナン‧コートジボワール)の真っ最中でした。頭痛と胃痛と異様なのどの渇きを感じながら到着したベナンのコトヌー空港から、出迎えてくれた現地の⽇本語学校の先⽣の機転で病院に直⾏。あっさりとマラリアと診断され、点滴につながれて2泊3⽇の⼊院⽣活。あとで聞いたら⼊院したとき熱は39度もあったらしいのですが、その記憶すらあいまいになるくらいの体調の悪さでした。
さて、⽇本語学校の学⽣たちの様⼦です。4⽉に⼊学した学⽣をしばらく担当していましたが、彼らは⽇本の⽇本語学校のオンライン⾯接を受けて次々と合格し、留学に向けた第⼀段階の切符を⼿に⼊れていきました。学⽣が予想以上に増えたことでクラスの再編成があり、今は6⽉に⼊学した学⽣との混合クラスです。
ある程度⽇本語が話せるようになってきた彼らからは、毎⽇質問の嵐です。授業中に何回も「先⽣質問があります!」という声があがります。「先⽣、先⽣」とだけ呼びかけられたり、私が質問をさばききれないでいると、着ているものをわきから引っ張られたりします。

簡単に答えられないような質問も少なくありません。勉強熱⼼な学⽣は教科書よりもずっと先のことを⾃主的に勉強しています。動詞の辞書形、すなわち⽇本語の学校⽂法で⾔うと終⽌形、要するにその⾔葉が辞書に載っていますよという形とともに、「〜ことができますか?」という⽂型が出てきたときの質問はこうです。「⽇本語を話すことができますか」と「⽇本語を話せますか」はどう違うかというのです。まあ、同じっちゃ同じなわけだし、そもそも前者の⾔い⽅って⽇常会話で頻繁に使うかと⾔われたらかなり疑問。後者の⽅が普通だよね、という素朴な肌感覚はひとまずわきに置いておいて、「話せます」という可能を表す表現は「あとで勉強します」と逃げの⼀⼿。
ベテランの先⽣なら、引き出しに学習者からの質問‧疑問とそれらに対する返答がバリエーション豊かにたくさん⼊っているのでしょう。しかし私はなにしろ新⽶教師。⾃慢じゃないけど引き出しは空っぽなんです。⾃慢している暇があったら宿題として持ち帰ってきた質問と格闘せい!と⾃分を叱咤激励する⽇々です。
難しい質問で私を苦しめてくれる学⽣たちですが、もちろん笑わせてもくれます。先⽇私が学⽣の名前を間違えてしまったときのこと。だって名前がそもそも似ているし、顔も私から⾒ると似ているし、どっちも男前だし(笑)。学⽣から「学⽣の名前を忘れないでください」と、習ったばかりの「〜ないでください」という⽂型を使ってダメ出しをされました。
すると、次なる学⽣が「〇〇さんの名前は忘れてもいいです」とまぜっかえします。⽇本が少し話せるようになってきた学⽣はこうして冗談めいたことも⾔うようになるので、驚きです。さらに次の学⽣からは「先⽣は学⽣の名前を忘れてはいけません」と叱責され、ダメ押しとして「先⽣は学⽣の名前を覚えなければなりません」と、ありがたいご指導まで受けました。「〜ないでください」に加え、「〜てもいいです」「〜てはいけません」「〜なければなりません」という⾒事なラインナップ。
学⽣たちはいつもこんなふうに⾃分たちの⽇本語⼒の最前線を⼝にするわけではないので、珍回答‧奇回答もあります。「図書館」を「ドシュツカン」と読んだり--たぶん図書館と美術館が⼀緒になってしまったのでしょう。「⼟出館」(注)という⽇本語はありませんから--、「私は19歳」と⾔うべきところが「楽しい教室会話もたくさんあります。
以上、カメルーンでの⽇本語教師として半年を⽣き延びた私の現地からのサバイバルレポートでした。
(注)「⼟出館」という⽇本語はなくても「出⼟館」という⽇本語はあるということをAI が教えてくれました。





