未来に 「楽しみ」 がごろごろ転がっている
2015/11/10
吉田 新さん
前々から、 50歳を過ぎたら新しい仕事に挑戦しようと思っていました。かといって、 30年近く続けた仕事に不満があったわけでもありませんでした。
私は、ゼネコンで構造設計に携わっていたのですが、それは本当にやりがいがあって、面白い仕事でした。ドーム球場、美術館や商業ビルなど、構造の機能美と合理性を追求する作業は、とても興味深いものでした。ですから、突然 「辞めます」 と言い出したときは、周囲にとても驚かれました。
はっきり日本語教師になろう、と決めていたわけでもありませんでした。ただ、なんとなく、ハードウェアとは違う、人間の交流や、ひとりひとりの成長に関わる仕事に漠然とした興味がありました。あと、将来は海外で暮らしたいな、なんて思っていましたね。これも、なんとなく。
今思い返せば、この道を選んだきっかけは、ゼネコンでの最後の仕事だったようです。その頃、アップルコンピューターのビルを担当していました。銀座にある、リンゴの描かれた白い建物です。日本側の構造技術者として、米国のアップル本社からやってきた建築デザイナーや構造設計者と折衝を繰り返すうちに、言葉というものに対して改めて強い興味が湧いてきまして。私も、大概の日本人の例に漏れず、英語を中高大と長らく勉強したにも関わらず、話すことは苦手です。なんとか頑張って英語でコミュニケーションを取っていたのですが、ふと、日本で勉強している留学生のことを考えてみて、愕然としたんです。彼らは大人になってから日本語の勉強を始めているのに、半年や一年勉強しただけでも、かなり話せるようになっている。なんだこの違いは。そこにはどんな秘密が隠されているんだろう、と。
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そんなふうに具体的な興味があったので、アークでの勉強はとても楽しかったですよ。なるほどなるほどと、新鮮な知識が五臓六腑にしみ込むといいますか…表現が古いですね…とにかく、楽しい、楽しいと思っていたら、あっという間に卒業し、幸い検定にも受かり、卒業後すぐに非常勤講師の職を得ることができました。
そして今は、インターナショナルスクールの日本語教師として働いています。幼稚園の子供からから中学生まで様々な年齢の子供達に日本語を教える仕事です。アークの宣伝になってしまいますが、アークの得意とするコミュニカティブアプローチを、研修期間や非常勤講師期間に高い水準で学べたことが、ほんとうに役立っています。当然のことですが、ここの子供達は就学生に比べて、日本語を勉強したいという動機が薄いわけです。そんな状況で、どうやって楽しませながら日本語学習をさせるか。あるいは、彼らをとりまく日常生活とリンクできる実践的な日本語学習とは、どんなものなのか? アーク時代にたくさんの 「考えるヒント」 を得られたおかげで、教える困難がすぐさま新しい刺激になり、教えている私自身が楽しみながら学習を続けられています。
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会社を辞めて後悔していないか、ですか? もちろんしていませんよ。早期退職制度を利用しての円満退社でしたし、それに、日本語教師としての仕事だけじゃなく、新しく拡がった人間関係が、これまたかけがえないものになっています。日本語教師を天職と定めて勉強している自分の娘ぐらいの年代の大学生や会社員。あるいは、いろんな職業でプロフェッショナルだった熟年の方々が、胸に思いを秘めてこの仕事で再スタートを切ろうとしている。年齢や背景なんて関係なく、みんな同じクラスメートっていうのがとても面白いです。同時に、それぞれで異なる動機や過去の職業が、それぞれ異なるアプローチで日本語教育の助けになっていたりして。メーリングリストで連絡を取り合ったり、時々飲みに集まったりしていますが、ほんと楽しい毎日です。私、楽しいってばかり言っていますね。でも、「刺激的な学生時代には二度と戻れない」 なんていうのは自分の行動次第、つまり、不安定だけれど、未来にまだ知るよしもない 「たのしみ」 がごろごろ転がっている状況に飛び込めるかどうかだけで、どうにでも変わってくるような気がします。