No.53 通りの救世主
2017/05/22
朝、学校の最寄り駅に着いてすぐに「いかにも日本らしい光景」が目に入る。駅前の歩道橋でしっかり列を守りながら、一歩ずつ踏みしめるように上っていく人々である。晴れの日もさることながら、雨の日は傘をさしている分、全体の進み具合も牛歩のごとく更に遅くなるのだが、その列を乱してまで自分だけ早く進もうとする人などいない。私はというと、階段を上る気力も忍耐力もなく、それを横目で見ながら下の信号を渡って学校へと向かうのが常である。
果たして、この光景は外国人にはどんなふうに映っているのかと、以前から妙に気になっていた。そういえば、これだけではなく、日本語教師になってから、何かにつけ「外国人の視点」が気になってしまう。一種の職業病だろう。
ある日、授業で「自分の国と日本の違い」について学生に聞く機会があった。こういったテーマは初級のときから度々取り上げられているのだが、学生の一人から出たのが、まさにこの「光景」についてだった。その学生の国ならどうか聞いてみたところ、「みんなが早く行こうとするから大変です」とのこと。
それを聞いて思い出したことがある。15年以上前、ベトナム・ハノイでのことだ。私が日本語を教えていた機関は、ハノイ中心部から少し南に下ったエリアにあった。大きな通りを一本入った、舗装されていない小さな通り。店舗もあるが、他にも路上で「揚げもの屋さん」「床屋さん」などが自由気ままに営まれ、私は勇気がなく一度も利用したことはないが、「体重測定屋さん」もいた。これで、いかにのどかな通りかがおわかりいただけるだろう。
ふだんは平和の象徴のようなその通りが、一度だけ大パニックに陥ったことがある。大雨による大渋滞により、多くのバイクと数台の車がひしめき合い、微動だにできない状態になったのである。原因は「ぬかるんだ道を、みんなが我先に進もうとした」こと。そのマヒ状態は、実に数時間続いた。
「万事休すか」と思われたとき、救世主として現れたのが同僚の日本人男性だった。意を決したように「ちょっと行ってきます!」と出ていった後、しばらくして疲労困憊といった表情で「帰還」。聞けば、彼が運転手たちに「あっち」「こっち」と的確かつスピーディな指示を出し、やがて列がわずかに動き始めたとき、人々から拍手が起きたのだと言う。そこから徐々に流れができ、やがて大渋滞は解消された。知られざる日本人の偉業。奇しくも「日本らしい光景」で思い出した、「いかにもベトナムらしい」懐かしきエピソードである。