No. 88 教師の耳
2018/10/15
最近、自分の耳に自信が持てなくなってきた。先日、駅のホームで電車を待っていたときのこと。中国人らしき若いカップルが楽しげにおしゃべりしながら後ろに並んでいた。車内は空いていて、その二人は私の向かいの席に座って、なおも笑顔で話が弾んでいる。「留学生かなあ。それにしても、外国人が増えているなあ」などとしみじみ思いながら、しばらくして「!」と気がついた。私が、すっかり中国語だと思っていた二人の言語は、なんと日本語。私の耳は、完全にチューニングを間違えていたのである。
言い訳させてもらえるなら、以前は、ファッションや女性のメイクで、おおよそ「なに人か」というのが推測できたものだが、最近は日本語教師の目をもってしても、なかなか見分けがつきにくくなった、ということもある。が、私なりに分析した結果、日常的に「若者の会話」を聞く機会が減っているからではないか、という結論にたどり着いた。あくまで私見であるが。
思い当たるふしがある。日頃の「環境選び」である。休みの日など、散歩がてらよくカフェに寄る。嬉しいことに、最寄り駅周辺にはいろんなタイプの店がある。その中で、この数年「ここは居心地がいいな」と感じるのは、あるパン屋のイートイン・スペース。何がいいのかと考えてみると、客の年齢層がとても高いのである。店内は静かではない。元気なおばあさん同士、年配の仲良し母娘、仲睦まじい老夫婦といった人たちで、かなり賑わっている。そして、彼らは軒並み「おしゃべり好き」で声も大きい。家族の愚痴、病気の話、孫の自慢など話は尽きない。私はそういった会話をBGMに文庫本を読んでいるのだが、それが意外と楽しいのだ。そういった「人生の先輩」の話を敏感にキャッチする(けっして盗み聞きではなく)耳になっているのだろう。
一方、若者に人気のカフェもあるが、若者言葉が溢れる店内は何だか落ち着かず、つい敬遠してしまう。その結果、彼らの会話が拾えない耳になってしまったのではないだろうか。「モスキート音」とは違った老化現象か。
最近、授業で学生が発した言葉が聞き取りにくく、「えっ?」と何度か聞き返してしまうこともある。今朝の授業でもこんなことがあった。3連休明けだったため、ある学生に「連休はどうでしたか」と聞いてみると、笑顔で「東京ケイムショに行きました!」と答えるではないか。「えーっ、刑務所!?」と聞き返し、気がついた。東京ゲームショウ…これは重症である。