No.121 「音」のない映画館 | 日本語教師養成講座のアークアカデミー

No.121 「音」のない映画館

2020/03/11

2月末の連休前、時間に余裕ができたため、念願だった映画をようやく観に行くことができた。アカデミー賞作品賞を受賞してから、ますます観客動員数を伸ばしている、あの話題作である。前日の夜にネット予約をした際は、250超の座席はまだ五分の一ほどしか埋まっていなかった。もしや、日々伝えられる新型コロナウイルス報道で、映画鑑賞にも自粛ムードの波か、と思ったのであるが…。いざ映画館に着いてみると、上映開始の頃にはほぼ満席だった。


私の知人にも既に観たという人が多く、感想も概ね高評価。実際その評判通り、おもしろく、哀しく、恐ろしく…飽きさせない展開で、見応えある作品だった。が、ふと思った。閉ざされた空間に多くの人が集まっているにもかかわらず、不自然なほど「音」がない。季節を問わず、いやこの季節だからこその「咳」が聞こえないのだ。咳き込むまでいかなくとも、咳払いくらいなら、上映中もあちこちから聞こえてきてもおかしくない。ようやく聞こえたのは、もうすぐエンディングというタイミング。そこで2、3人の咳が何回か聞こえてきたが、すぐに止まった。まるで空間全体を「やや不気味なほどの緊張感」が包んでいるような感じさえした。


連日のニュースも、きまってトップはウイルス関連。その数日前には「地下鉄で男性がマスクをせずに咳をしたため、乗客が非常通報ボタンを押し、列車が緊急停止!」という騒動まで起きていた。もし、自分が電車や映画館で咳き込んでしまったら…そう考えただけでゾッとする。いつもなら「普通のこと」が、今は「普通では済まされないこと」になっているのが怖い。 まったく自慢にはならないが、私は冬になると、必ずといっていいほど喉にトラブルが起きていた。咳など当たり前で、声がほとんど出なくなったこともあった。「これも日本語教師がいかに喉を酷使する、大変な仕事であるかの証し」などと、半ば正当化していた。しかし、この冬はたまたまドラッグストアで手に入れた「蒸気で喉をケアするマスク」のおかげか、「絶対に出るなよ!」という気合が、いたずらな咳を抑えているのか、問題なく今に至るけれど…。


今回の件が留学生たちに与えた影響は、けっして少なくない。2月末に予定していた貸し切りバスでの校外学習は中止。3月6日の卒業式も例年の大きな会場ではなく、学校内で行われることになったものの、最終的にはできないままになってしまった。急遽、3月2日からの休校が決まったからである。私自身、最終日には授業を担当していなかったため、卒業生に「おめでとう」と声をかけることは叶わなかった。残念でならないが、やむを得ない。今はただ、どんなにネガティブな出来事からも、将来に生かせる「学び」があると信じたい。



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