日本語教育能力検定試験「マンボウ」問題
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日本語教育の歴史と現状
登録日
2008年05月13日
問題
次の文章を読み、問いに答えよ。
日本語母語話者が主体的に日本語教育を行った例としては、1895年に(A)らが台北郊外の芝山厳に始めた教育がさきがけとされる。
その後、対訳による教育が行き詰った台湾では(B)らによって(1)の教授法が試みられ、『国民読本参照国語科話方教材』が開発された。その後、(B)は、朝鮮半島、中国大陸でも直接法の研究に携わる。
中国人留学生に対する日本語教育では、漢訳という中国語による説明を付した教材が多く出版され、宏文学院で教鞭をとった(C)の『言文対照・漢訳日本文典』は多くの版を重ねた。
問1)文章中の(A)~(C)に入る最も適当な組み合わせを選べ。
1. | A=松本亀次郎 | B=山口喜一郎 | C=伊沢修二 |
2. | A=伊沢修二 | B=松本亀次郎 | C=山口喜一郎 |
3. | A=山口喜一郎 | B=伊沢修二 | C=松本亀次郎 |
4. | A=伊沢修二 | B=山口喜一郎 | C=松本亀次郎 |
問2)文章中の(1)に入る最も適当なものを選べ。
1.グアン | 2.ラドー | 3.パーマー | 4.ベルリッツ |
解答
問1)4
問2)1
問題解説
問1) | 伊沢修二は、文部省官吏として、教育学理論の紹介・教科書編纂などに従事。特に音楽教育にも尽力し、学校唱歌を創始した。台湾における日本語教育の創始者。 |
問2) | 伊沢の後を受けた山口喜一郎は、漢文による対訳法に限界を感じ、グアン法(直接法)を試みた。 |