私が日本語学校の事務局員になったわけ
2021/06/21
日本語教育に関わる理由は人それぞれです。「教えることが好き」という人もいれば、「留学生とお話しをするのが好き」という人もいますし、「困っている外国人を助けたい」という思いを持っている人もいれば、「言葉の研究が好き」という人もいます。日本語教育に関わりたい=日本語教師一択ではないのです。そして、多様なキャリアの一つの選択肢として、「日本語学校の事務局員」があります。アークアカデミー日本語学校の事務局で長年留学生のサポートを行ってきた大竹が、なぜ今の道を選んだのか、その経緯をお話しします。このコラムをご覧になった皆様の人生の選択肢が広がりますように。
外国人からの日本語の質問にしどろもどろ…そんな経験、ありませんか?
私が初めて日本語を教えるということを意識したのは、イギリスに語学留学していた時でした。学校でたまたま私を見かけたまったく知らない学生から、「日本人?日本語教えられる?」と聞かれ、あまり深く考えずに「Yes」と答えましたが、「本当?つまり、教え方を知っているの?」と期待に輝いた目を向けられ、「Thank youって日本語で何て言うの?」という程度の質問しか想定していなかった私は、慌てて否定しました。
しばらくして引っ越した時、シェアハウスに大学で日本語を勉強しているスコットランドの女性がいました。隣の部屋に日本人の私が入ったことを喜び、ランゲージエクスチェンジを提案されました。当時英語の語学学校に通っていた私は、クラスメイトは全員留学生でしたし、ルームメイトはブラジル人、シェアハウスの大家はイタリア人という環境だったので、英語のネイティブと話せるなんて、思ってもみない機会でした。ある日キッチンで昼食の片づけをしているところに彼女が帰ってきたので、さっそく日本語で話してみようということになりました。彼女のレベルがどれくらいなのかも知らないまま、とりあえず質問をしてみました。
「今日は何をしましたか?」
「学校へ行きました。」
「お昼はもう食べましたか?」
「お昼…食べます?お昼?」
「あ、お昼ご飯…」
そして私は慌てて、会話では昼ご飯は「お昼」と省略されることを英語で説明しましたが、「朝ご飯は『お朝』ですか?」と言われると、もうお手上げです。その後の記憶はありませんが、とにかく私たちの改まったランゲージエクスチェンジはこれが最初の最後で、キッチンで交わす二言三言の日本語以外は英語で話してしまっていました。
留学後、最初に選んだのは英語講師でした
やがて留学が終わり、帰国して仕事を探した時、最初に決まったのは小学生対象の英語講師でした。数回の研修の後にすぐ始まり、毎月1回行われる研修で1レッスン分の教案がもらえる以外は、教師用マニュアルを見ながらの自己流レッスンでした。研修でやったレッスンと、自己流でやるレッスンでは、子供たちの食いつきの違いが残酷なくらいに明らかでした。
英語講師の仕事は2年ぐらい続けましたが、週に3回だけの仕事でした。留学前に働いていた会社が声をかけてくれて、授業がない日はそこでアルバイトをしていましたが、アルバイトの掛け持ちなので、仕事は楽しかったものの安定はしませんでした。それで就職を意識するようになりましたが、やりたくない仕事はたくさんあるのに、やりたい仕事が思いつきません。
留学前に働いていたのは大使館や外資系の企業で働く人やその家族をターゲットにした小売店で、輸入雑貨や輸入の書籍、雑誌等の販売を担当していました。店は大使館が多い南麻布にあり、お客様の8割は外国人で、時には聞いたことがない国からいらっしゃることもありました。クセの強い英語でまくしたてられ、聞き取りに苦労することもありましたが、ロンドンで経験したような、多国籍の環境に身を置くことを楽しんでいました。その後、英語講師をやっていたことからの連想で、英会話学校のスタッフになることを考えましたが、英語学校にいるのは英語を話す人だけです。多国籍の人が集まるところ…。
実は英語を教え始めたころ、日本語教師の勉強を始めました。ロンドンで日本語を教えられず不甲斐ない思いをしたことや、実際にロンドンで日本語を学ぶ人、教えている人に会って、日本語教師という仕事があることに気付き、いつか役立つのではないかと思ったからです。ロンドンの英語学校の先生はロンドンで生まれ育ったポーランド人でしたが、私たちの質問には必ず納得できる答えをくれる人でした。そんな風に、私自身も日本語の質問にきちんと答えられるようになりたいと思っていました。
日本語教師にならなくても、日本語学校で働ける
ところがある日、会社に置いてあったジャパンタイムズを見ていると、アークアカデミーの求人広告が目に入りました。日本語教師の勉強をしたことから、アークアカデミーの名前は知っていました。日本語教師の勉強は独学だったため、中途半端に終わっていましたが、この求人は学校事務の募集でした。
日本語教師にならなくても日本語学校で働ける!
休憩時間に会社を飛び出し、向かい側にある公園ですぐに電話をしました。この頃には英語講師の仕事は辞めていて、フルタイムで前の小売店の会社で働いていましたが、アルバイトのままでした。アルバイトの不安定さから始めた就職活動でしたが、転職の時にはアルバイトの特権を使わせてもらい、面接が決まった時点で退職を申し出ました。一週間程度で引き継ぎをして、あっという間の転職です。
アークアカデミーに入った頃は、先生たちに感化されてもう一度日本語教師の勉強がしたくなればいいなと思っていましたが、今は学生の生活面での相談や、留学前の問い合わせに対応しており、教師とは異なるかたちですが、留学生に接することを毎日楽しんでいます。
アークアカデミー新宿校 事務局 大竹 明子