日本語教育能力検定試験「マンボウ」問題

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日本語教育の歴史と現状

登録日

2005年03月10日

問題

次の文章を読み、各問に答えよ。

A「国語」は学校教育の用語で、1970年ごろから「日本語」としての認識がでてきた。この認識は、まだ30年程度の歴史しか持ってなく、学校教育としての「国語」では、いまだに「日本語」としての配慮はなされていない。
 文語は「目の言葉」であり、口語は「耳の言葉」である。日本では明治期において、Bそれまで使い分けられていた文語(漢語・候文)と口語(日常話し言葉)を一致させ、わかりやすくしようとの運動が起こった。
 これは、当時勃興し始めた大衆文化を普及させ、( ① )があったが、初めて話し言葉としての「日本語」を意識したものであった。
 

問1 文章中下線部Aの「国語」という教科は、日清戦争前後の国粋意識の高揚が教育政策に反映したものといわれる。この教科名が登場した小学校令の改正はいつか。
 1.1872年  2.1879年  3.1886年  4.1900年

問2 文章中下線部Bについて、不適切なものを選べ。
  1.尾崎紅葉  2.幸田露伴  3.山田美妙  4.二葉亭四迷

問3 文章中①に入る最も適当なものを選べ。
 1. 漢文体への優越感
 2. 商業的に儲けようとの意図
 3. 西洋の文明に対する劣等意識
 4. 標準語を普及させようとの意図

解答

問1 4
問2 2
問3 2

問題解説

問1 1900年(明治33年)の小学校令により、「読書・作文・習字」に分かれていた教科が「国語」という名のもとに統一された。読本教科書名も「国文読本」から「国語読本」へと替わり、それまでの「漢文」に替わって「国語」が優位になった。
問2 幸田露伴は『風流仏』に代表される西鶴的文体をとった。

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