用語名

明治・大正・昭和初期の日本語教育(国内)

めいじ・たいしょう・しょうわしょきのにほんごきょういく(こくない)

用語詳細

日本の国内では日清戦争(1894 − 1895)後,清国からの留学生の日本語教育を宏文学院嘉納治五郎創設)で、松下大三郎(『日本俗語文典』『標準日本口語法』の著者1878 − 1935)や、松本亀次郎(1866 − 1945)らが行った。このあたりに従来の文語を素材にして文法研究をする姿勢から、同時代の日本語の口語研究を行うことへという転換をみることができる。
パーマー(H.E.Palmer)の英語教育の直接法を取り入れ、長沼直兄(ながぬまなおえ。1895 −1973)は『標準日本語読本』を完成(1933 頃)。長沼は日本語教育振興会(1940 発足)の理事も務める。
1935 年、国際学友会がアジアからの留学生の生活支援を行うことを目的として発足した。
終戦直後、下火となった日本語教育を担当したのは長沼であり,次いでサンフランシスコ条約以後,国際学友会も日本語教育に携わるようになった。

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