用語名
ロシアにおける日本語研究
ろしあにおけるにほんごけんきゅう
用語詳細
帝政ロシアに日本人がしばしば漂着した記録が残っている。
例えば、大阪商人伝兵衛は1695 年カムチャッカに漂着した。ピョートル大帝の命令でペテルブルグに日本語学校ができ、伝兵衛が日本語の教育の任にあたった。
1728 年、薩摩の船に乗っていたゴンザとソウザが漂着、ペテルブルグの科学アカデミー付属日本語学校で日本語を教える一方、ゴンザはアカデミーの司書ボグダーノフの指導のもとに日本語学習書『簡略日本文法』(1738)、『新スラヴ日本語辞典』(1736 − 1738)、『友好会話手本集』(1739)などを作った。まだ日本に共通語も標準語もなかった時代であるから、漂流民の出身地の言語(薩摩方言)が教授されていた。
また,映画化までされた井上靖の小説『おろしあ国酔夢譚』は大黒屋光太夫(1783年漂着)を描いている。
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