用語名

教育制度

きょういくせいど

用語詳細

明治政府は「学校制度」「徴兵制度」「租税の制度」を三本柱にした制度改革にのりだす。
江戸時代、諸藩の武士の子弟は各藩の藩校(藩学)で、儒学や武芸を修める一方、町人階級の子供達は江戸時代中期から盛んになった寺子屋(師匠の私宅)で、読み書きそろばんを習っていたから、1872 年、学制が公布されたときには、義務教育制度の素地がかなりできていたといえる。四民平等になって、武士階級、町人階級の別なく平等に同じ場で教育を受けることになっても抵抗はなかった。むしろ、維新以前の身分階級に関係なく、高等教育を受けた能力のある人間が社会で登用されたので、現代の高学歴社会への移行は速やかであった。ちなみに1905 年の小学生はすでに535 万人もいた(2008 年、同、712 万人)。また、高校進学率は1960 年には57.7% であったが、2007 年には、97.7%となり、国民の殆どが高校へ進学している。大学進学率は2007 年現在、47.2%でありイギリスには及ばないものの、高いレベルに達している。

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