用語名

遣隋使

けんずいし

用語詳細

大和朝廷の推古天皇(女帝。在位592 − 628)の代、607 年(608 年4 月帰国)と608年9月(609 年帰国)に小野妹子(おののいもこ、生没年未詳)ら、614 年(615 年帰国)に犬上御田鍬(いぬかみのみたすき、正没年未詳)らが派遣され、朝鮮半島を経由せずに中国文化を受容しようとした。ちなみに607 年には聖徳太子は推古天皇の摂政であり、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」と中国と対等の立場であることを示した書簡を託した。

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